日本を代表する会議通訳者の一人として、これまで6000件以上の案件を担当、日本外国特派員協会ではふなっしーやピコ太郎の通訳も務めて話題になった橋本美穂さん。今年の4月には初の著書『英語にないなら作っちゃえ! これで伝わる。直訳できない日本語』(朝日出版社)を発売している。

この本には「鬼に金棒」=「Popeye on spinach」など、「そもそも英語にない」「英語で何と言ったらいいのかわからない」「直訳では確実に通じない」言葉の本質を捉え、伝わる表現を生み出す橋本さんの発想法が記されており、英語を勉強している方はもちろん、英語の初心者も楽しめる内容となっている。「好きなことを仕事にする」というテーマでインタビュー。橋本さんが通訳者の道を志したキッカケ、仕事のやりがいについて話を聞いた。

通訳者養成学校に通ったキッカケは悔しさから

――現在の橋本さんの活躍ぶりを見ると、若い頃から通訳者を目指されていたのではないかと感じるのですが…?

橋本 いえ、そうではないんです。生まれはアメリカで、一度日本に戻りましたが、その後また引っ越して、小学校時代をアメリカで過ごしました。いわゆる帰国子女なので、英語にはある程度の自信がありましたが、その頃は通訳者になりたいとは思っていませんでした。“この仕事に就きたい!”というよりは、“海外にも拠点のある大企業で自分の力を試してみたい!”という漠然としたイメージでした。

――それで、キヤノンに就職されたんですね。

橋本 はい、本社で総合職として働いていました。あるとき、社内の国際会議で通訳を頼まれたんです。日本でも英語の勉強は続けていましたし、社内の専門用語なら、ある程度知っていたのでできるだろうと引き受けたのですが、全然できなかったんです。それがすごく悔しかった。

――英語ができるということと、通訳をするということとは別なのでしょうか。

橋本 はい。通訳者は語学力だけでは務まらないんです。自分がうまく通訳できなかった原因を知りたくて、通訳者養成学校に通い始めました。

――それが、橋本さんの通訳者への第一歩だったんですね。

橋本 ただ、その頃も通訳者になろうとは全く思ってはいなくて、単にできなくて悔しかったのと、原因を知りたいという”探究心”がモチベーションでした。結局、その学校には3年ほど通いました。学校でまず教わったのは、基本的な通訳技能でした。通訳には「同時通訳」と「逐次通訳」があって、同時通訳は、スピーカーの発言を聞きながら同時進行で通訳していくスタイル。

逐次通訳は、スピーカーの発言がある程度終わったところでまとめて通訳するスタイルです。学校に通ったことで「語学力」と「通訳技能」の両輪があって、はじめて通訳ができるということを知りました。聞いたことをメモに速記して記憶したり、頭の中で瞬時に意味を把握するために要約したりといった技能も学びました。

すると、例えば集中力が100あるとすると「聴きとる」「メモを取る」「資料に目をやる」「頭の中で訳を考える」「その訳を声に出して伝える」「聞き手のリアクションを確認する」といった複数のタスクに集中力を分散して振り分ける練習が必要になります。

これは、のちに私が教える立場になって「スプリット・アテンション」という表現で説明した、特異な脳の使い方です。さらに、専門用語を正確に扱うための準備の仕方や、リサーチの方法などを教わりました。

――先ほど「悔しかったから」と話されていましたが、会社に行きながら学校で勉強もする、負けず嫌いだけでは超えられないハードルだと思ってしまいます。

橋本 そうですね、厳しかったです。クラスに10人くらい在籍しているうち、テストを受けて進級できるのは2〜3人でしたし、授業中も何度もくじけそうになりました。道半ばで挫折して、やめる方も多かったです。ベテランの先生のみならず、現役の通訳者も講師をつとめてくださるんですが、その先生たちから現場の話を聞いていると「学校を卒業するだけでも厳しいのに……」と途方に暮れました。

それでも私がやめなかったのは、頑張れば目標をクリアできそうだったから。諦めずに挑戦し、最後までやり切ろうとする性格もありました。また、ただ漠然と挑戦するのではなく、そこに至るプロセスも楽しんでいたような気がします。

自分の強みを他人が教えてくれる場合もある

――学校を3年半かかって卒業された橋本さんが、通訳の道へ舵を切るキッカケはなんだったのでしょうか。

橋本 ちょうどその頃、会社がノー残業デーを作ったんです。それまでは遅くまで残って仕事することも生きがいだったわけですが、それが失われた。そうしたときに、学校に通った能力を試してみようと翻訳コンテストに応募してみたんです。そこで優勝して、賞金として5万円いただいた。それが自分にとっては衝撃だったんですね。

――衝撃というのは?

橋本 会社からお給料をいただくのとは違った感覚でした。自分ひとりの力で報酬をもらえるということに感動したというか、こんな喜びがあるのかと知りました。そこで味をしめて(笑)、内職にはなりますが、自分のプライベートな時間を使って翻訳の仕事をしようと、通訳・翻訳のエージェンシーの門を叩いたんです。すると、私の履歴書を見た社長に「通訳者養成学校を出ているのに、なぜ翻訳を?」と聞かれました。

私はキヤノンを辞める気はなかったので「空いた時間でもっと翻訳をしてみたい。お小遣い稼ぎにもなれば」と返したら、社長が「あなたは絶対に通訳者が向いている」と断言したんです。

最初は断っていたのですが、何度も説得してくださって。「すでに通訳者を探している会社があるから、すぐに話を持っていきたい。いつ会社を辞められますか?」と仰ったときは、そのスピード感に怖気づいてしまいました(笑)。

――(笑)。それくらい橋本さんが通訳に向いていると感じられたのでしょうね。

橋本 でも、それまで会社を辞めるなんて考えたこともなかったんです。ただ、社長が「現在の年収は保証します」と言ってくださって、収入面の心配はなくなりました。最終的に絶対安泰と言われる会社を辞めて通訳者の道を選ぶことになりましたが、周囲からはほぼ反対されました。もちろん、私のことを心配しての助言だったと思います。

でも、私には自分なりの生き方みたいな感覚があって、生まれてきたからには自分の命を毎日充実させて、夢中になれることに時間を使いたいと思っていました。会社のノー残業デーとか、女性は危ないから海外出張に行かないほうがいいといった制約は、窮屈に感じました。だから会社を飛び出して、なんの保証もない通訳者の道をイチから歩み始める決断をしたんだと思います。

好きなことを仕事にする、というテーマでお話ししてきましたが、私の場合は通訳者になるなんて、他人に提案されるまで考えもしなかった。でも、通訳者になり、おかげさまで充実したキャリアを積むことができています。計画通りにいかないことも含めてチャンスに変えられるかどうかだし、また、自分の強みを他人が教えてくれる場合もあるんだな、と振り返っています。