言葉によってメッセージはきっちり伝えられる

――このインタビュー企画では、好きなことを仕事にした方にお話をお聞きしているので、稲田さんはピッタリだなと思うのですが、今まさに好きなことを仕事にしようと頑張っている人からよく聞くのは「好きなことを仕事にしたせいで、イヤな思いをすることになったら…?」という懸念点なんです。稲田さんは好きな仕事をしたせいで、イヤな思いをしたような経験はありましたか?

稲田 それ、たしかによく聞かれます。正直に言って、まったくないんですよね。世間では、仕事は仕事としてちゃんとやり、余暇で好きなことを楽しむみたいな話を聞きますが、私にはその感覚はありません。

好きを仕事にしたくない理由のひとつは、制約があることだと思います。たとえば、お店で出す料理なんて、まさに制約だらけです。原価の縛りやオペレーションなどを考える必要があるので、自分の好きなように料理を作れるわけではありませんよね。でも、僕はいい意味で不真面目だと思っていて「自分の理想どおりのものなんか世に出せるわけない」って気持ちからスタートしています。

そうすると、制約がある範囲のなかで、最高得点をマークするためにはどうしたらいいかを考えて仕事ができるんですよね。真面目な職人だったらストレスに感じることを、縛りとして楽しめている部分はあると思います。

 ――稲田さんがX(旧Twitter)に設置した相談箱に、日々たくさんの人が食に関する熱い相談を投げかけていますよね。そして、それについて稲田さんが全力で答える様子が印象的です。

稲田 これまでも、飲食店の経営やプロデュースをするなかで、食やサービスに関する疑問に答える「質問回答業」のような仕事はしていました。そんななか、Xで相談箱のサービスがあることを知って「趣味の世界でやってもおもしろそうだな」と思ったんです。そしたら、変な質問が……。

――(笑)。

稲田 いやいや、いい意味で異常な質問がどんどん届きまして(笑)、それに真剣に答えていくと、自分の思想とか考え方みたいなものが明確化されていくのがわかるので、非常に気持ちいいんですよね。

ちなみに、相談箱の回答は、執筆する原稿の10倍以上のスピードで書けるときがよくあります(笑)。理由は、僕の文章を求めている読者が1人は担保されているからですね。回答を待つ読者に向かい、まっすぐ書けばいいだけなので迷いがありません。

 ――文筆家として、レシピ本だけでなく、エッセイや小説も執筆していますよね。なぜ、言葉で届ける仕事をしようと思ったのでしょうか?

稲田 自分の伝えたいことを過不足なく、すべて伝えられるからです。これはレシピ本でもエッセイでも、同じことが言えると思っています。小説だって想像のことを舞台にしているだけで、メッセージはきっちり伝えられますからね。あまりにも文字数に制限があると、伝えきれない部分が多くて、誤解が生じるときがあるのが難点です。なので、きっちりと誤解のないように、起承転結で説明し尽くしたい思いがあります。

――なるほど。文章で人を笑わせるって難しいことだと思うんですが、稲田さんの文章は読んでいてクスッと笑っちゃうんですよね。

稲田 それはすごくうれしいです。根本をたどってみると、文章で人を笑わせたい気持ちが強いことが一番の理由かもしれません。実際に、まるで落語みたいに、最後にクスッとしてもらうための文章を組み立てるときもありますよ。

 ――稲田さんの文章を読んで、独特な言葉使いが印象に残りました。

稲田 言葉使いに関しては、意識してやっている部分がありますね。たとえば、昭和の古き良きエッセイみたいな言い回しをわざと使ったり、ネットスラングに近いような言葉も入れたり。そういうのが合わさると、妙な異世界が出来上がるといいますか。現代では誰も書いていないであろう言い回しができるので、意図的に取り入れています。

▲「お店をいかに楽しむか」を伝えたいと思って執筆しました

やればやるだけやりたいことが出てきている

――今回出版された『お客さん物語』は、どのような思いで執筆をしたのでしょうか?

稲田 お客さん側としても、飲食店をやる側としても「お店をいかに楽しむか」を伝えたいと思って執筆しました。お客さん側で言うと、最近はレビューサイトやSNSなどを見ても、 減点法でお店を見ている人が多いと思っています。ちょっと高すぎるとか、ここが気に入らないみたいな。それぞれの理想みたいなものがあって、そこから減点ばかりして、悪く言うと粗探し的に見ているのがすごくじれったいと感じています。

それよりも、お店の加点できるところをどんどん探して、それを積み上げた方が楽しいんじゃないかってことを伝えたいと思って書きました。また、飲食店を経営する人たちには「お店性善説」を意識して書いています。お店性善説は“みんなお客さんのことを喜ばせたいからやっているんでしょう”という考えで、作品の裏テーマともいえますね。

もちろん、すべてがお客さんのためではないことは知っていますけど、あえてその部分は触れないようにしています。お店が性善説によって運営されていることを当たり前として提示して、読んでくれたお店側の人が「お店ってそうやってやるものだよな」と改めて感じてくれたらいいなと思って、作品を書き上げました。

――めちゃくちゃ素晴らしいですね! お店性善説を良い意味で逆手に取っている、という。コンビニのトイレにある「いつもキレイに使ってくださってありがとうございます」の張り紙、みたいなことですね。

稲田 なるほど(笑)。たしかにそうですね。

――では最後に、稲田さんの野望を教えてください。

稲田 すべての野望は、今やってることの延長線上にあると思っています。というのも、 現時点で僕がかつてやりたいと思って夢見てきたことは、一通りやらしてもらえたんですよね。それでも、やればやるだけ、またやりたいことがどんどん出てきている状態です。いまはそれを、虎視眈々と形にできる機会を狙っています。

(取材:川上良樹)


プロフィール
 
稲田 俊輔(いなだ・しゅんすけ)
料理人。南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。南インド料理ブームの火付け役であり、近年はレシピ本をはじめ、旺盛な執筆活動で知られている。近著に『食いしん坊のお悩み相談』『ミニマル料理』など。X(旧Twitter):@inadashunsuke