『西川伸司が紐解く怪獣の深淵 ゴジラ大解剖図鑑』(グラフィック社)は、いわゆるただの怪獣図鑑ではない。これまで日本で制作されたゴジラ33作品のすべてのゴジラ怪獣を、1989年〜2004年まで数多くのゴジラ映画の怪獣デザインを手がけた西川伸司さんが、自ら描きおこして解説を加えているのだ。
怪獣たちの特徴だけでなく、映画ごとに変更されるゴジラのデザインやスーツ(着ぐるみ)の仕様について、こと細かに語られており、怪獣デザイナーならではのミクロでマニアックな視点で解き明かしてくれている。
作品ごとに顔もボディも意外なほどに異なるゴジラのデザインを見ていると、不思議なもので、映画を見て確認したくなる。「怪獣デザインという仕事はあっても、怪獣デザイナーという職業はありません」と西川さんは語る。怪獣デザインだけで生活することは困難であり、彼自身の本業は漫画家だ。しかも、目指してなったというより、偶然たどりついた仕事でもある。
というわけで、彼の人生を振り返ること、すなわち怪獣デザイナーへの道筋となる。その具体例を知っていただくために、幼少期からの話を聞いてみよう。
ゴジラとの出合いと特撮の衰退
記憶に残る人生で初めてのゴジラは、1971年の『ゴジラ対ヘドラ』だという。当時、小学1年生。1969年から1978年までの春・夏・冬休みに、東宝が子ども向けに企画していたプログラム「東宝チャンピオンまつり」のメイン作品だった。子ども向けながらも、当時、社会問題となっていた公害を前面に打ち出したカルト的な一作だった。
「“ヘドラ”は社会派で、怪獣の造形も演出も、とにかく印象的でしたね。夏休みの宿題の絵日記に描きました(笑)。最初の『ゴジラ』が公開されたのが昭和29年で、僕は昭和39年に生まれたんですが、この10年間は東宝特撮しかなかった。
その後、1~2年のあいだにガメラとかウルトラマンとかが出てきた。それ以前は恐竜や他の生物をただ巨大化したようなものしかなかったのが、ウルトラマンの登場で“怪獣をデザインする”という意図の入った怪獣が出てくるんですね」
物心ついた頃から、実家は写植とデザインを使って広告などの版下をつくる会社を営んでいた。父親は油絵の心得があり、西川さん自身も小さい頃から絵が好きだった。ウルトラシリーズ初期には「怪獣博士」と呼ばれたが、そもそも子どもたちの世界での特撮ブームが終わる。
というのも、ウルトラマンや仮面ライダー、ゴジラなどのシリーズが相次いで終了したからだ。代わりに人気を得たのがアニメだった。
「それまで特撮にハマってた子どもたちの多くが、アニメに転んだんです。僕も『宇宙戦艦ヤマト』が始まって、それまでになかった表現力にビックリしました。庵野秀明さんとか、出渕裕さんとか、僕より少し年長のクリエイターたちも、この頃一斉にアニメに鞍替えしたんじゃないかな。かくいう僕もアニメにハマって、高校卒業後はアニメーターになろうと真剣に思っていました」
だが、父親から「大学に行くべし」との声がかかった。“なんとなくよくわからない仕事”に対する親の態度としては、きわめて真っ当だが、西川父の視点は斜め上をいくものだった。
「親父が言うには、アニメってのは“人に言われた通りの絵を描くだけの仕事じゃないか”と。お前の性格だと、それだけだと絶対に我慢できなくなる。そのときに大学生でないと身に付かない感性が役に立つはずだ、と」
ゴジラとのゆるくマニアックな付き合い
そして、西川さんは同志社大学に入学、結果として父親の言うとおりになるのであった。それが「大学生でないと身につかない感性」だったのかどうかはわからないが、あらためてゴジラと“出合い直す”ことになったのだ。そのキッカケは漫画研究会だった。
アニメが好きでイラストはずっと描き続けてきた西川さんだが、オタク的な世界は苦手だった。で、たまたま漫研を覗いたら、壁にペンキで「成田闘争勝利!」などと書き殴られ、本棚には『ガロ』がズラリ。「これはオタクじゃない、男の世界だ!」と入部したら、そこは男の世界というより特撮の世界なのであった。
「先輩たちが特撮マニアだらけ(笑)。この先輩は東映マニア、この人はウルトラのオーソリティ、こっちは東宝のチャンピオン……という感じで。僕が大学に入ったのが1983年で、9年ぶりにゴジラ新作公開の前年だったので、全国でリバイバル上映が盛んだったんです。それをサークルで見に行くわけですよ。
たぶん、それがよかったんでしょうね。一人で見ていると、ゴジラに高尚な価値を求め、それを守ることと自分を守ることがイコールになってしまう。いわゆる“ゴジラ原理主義者”になってしまうのかもしれない。でも仲間と行くと、楽しく見られるんですよ。
『ゴジラ対メカゴジラ』のキングシーサー復活のくだりで歌われる曲がフルコーラスかかって、みんなでズッコケたり(笑)。本気で追っかけてるけど、“ゆるい見方”というものを得ることができるようになったんだと思います」
そして、西川さんの興味を牽引する、ディープな先達によるファン活動が全国各地に発生し、作品全体を作り手の目線で見ながら、制作の裏側にまで言及するさまざまなアウトプットがされていく。本格的な自主特撮映画や、作品ごとのゴジラの着ぐるみを再現したガレージキットなども販売されたという。
「子どもの頃は、創られたゴジラの世界にダマされて夢中になる側なんだけど、そういう受け手の視点のままの人は、作り物だとわかるとともに冷めていくんじゃないかな。
特撮はあるとき半ば強制的に終わって、大学生の自分にとって新しい興味の対象になった。今度は、見ている人をダマすためにすごい技術やアイディアが集約してるんだ、という視点に切り替わったんですね。そのときからなんですよ、ちゃんと写真を見て、ゴジラのスーツの違いを意識して描くようになったのは」