最初はナメていた『ズームイン!!』での仕事
こうしてIVSテレビ制作をやめたマッコイ。土壇場の状況から、再びテレビ制作に戻るまでの期間、何をしていたのだろうか。
「このあと、またテレビ制作の現場に戻るんですけど……そのあいだは肉体労働とか、あまり人には大きな声で言えないような仕事をしてましたね……いや、断じて犯罪とかじゃないですよ!(笑)」
地元に帰ろうとは思わなかったのだろうか。東京に出てくるときの夢「ビートたけし氏に近づきたい」は、すでに叶えてしまったわけだから。
「地元に戻るつもりはまったく無かったです。実家は啖呵(たんか)を切って出てきちゃったし、家には兄貴がいたんで、帰っても居場所がないし。カッコつけの次男坊なんで、成功してからじゃないと帰れないぞって、プライドがありましたね。
今の若い子がそう思ってくれてるかわからないですけど、テレビ、芸能界って当時は花形。派手な世界で、テレビには夢がいっぱいあった。今は手を真っ黒にして肉体労働をしてるけど、絶対あの世界に戻ってやるって」
そんなマッコイがテレビの世界に戻るキッカケになったのは、『ズームイン!!サタデー』のディレクター募集広告だった。爆破やドッキリなどのイメージが強い『元気が出るテレビ』から、朝の情報番組への転身は真逆のようにも思える。
「これも『De☆View』なんですよね(笑)。IVSを辞めてから、いくつか声をかけてくれる番組とか制作会社があったんですけど、バラエティがやりたかったから断ってたんです。でも、バイトをしなきゃいけない時間がだんだん増えてきて、選り好みしてる場合じゃねえなって。
『ズームイン!!サタデー』には全く違う世界を見せてもらって、今でも感謝してます。あの番組にいた2~3年は本当にいい経験でした。情報番組をしっかり作っている方々のスゴさ、笑いだけじゃない、テレビに携わる人々のカッコよさを知れたのも大事だったし、そこで出会った総合演出のサトピン(佐藤一)さんは、僕の第二の師匠です」
いい経験だったと振り返るマッコイ。面白いVTRが全てだった彼は、朝の情報番組から何を学んだのか。
「サトピンさんの独断で決めない、みんなの意見を平等に集約する姿勢にも感銘を受けました。そして画作りでいうと、じゃあ全国桜リレーをやりましょうとなると、僕みたいに尖ってる人間からすると、“何が桜だよ”とか思ったりするんですけど、中継ひとつ取っても、クレーンのカメラ使って桜を撮ると、とてもキレイに見える。“日本の四季っていいなあ”と僕でも思うんです。
ワンカットワンカット、キレイにカット割りして、こだわって撮ってるというのを目の当たりにして、“これは映画の現場と一緒だ”ってプロの仕事を知るんです。僕みたいにバラエティで尖った企画やってると、情報番組をナメてしまいがちなんですけど、どの世界にもプロがいるということを知れました」
総合演出としてのマッコイを知らない人は、今やテレビの世界ではいない。では、そうした演出術をどのように学び、自分のものにしていったのだろうか。
「学んだという意識はないんですけど、例えば元気の頃って10割打者じゃなかったんですよ。それって自分の中での決まった色しか見せ方がないからなんですよね。元気の頃は2色くらいだったと思います。
それが情報番組をやったり、いろいろな場所に顔だしたり、いろいろな経験をすると、自分の色が増えていくんですよね。“ここはあえて淡々と見せたほうがいいな”とか“朝の番組だから、もう少しテンポを変えたほうがいいな”とか、『ズームイン!!サタデー』を経験してなかったら気づけてなかったと思います」
何者でもなかった時代からの友人たち
マッコイ斉藤といえば、その名付け親となった極楽とんぼの二人(実際にはマッコイ斉藤の名付け親は山本圭壱)、特に加藤浩次との深い付き合いが知られている。テレビ朝日で放送されていた『極楽とんぼのとび蹴りヴィーナス』シリーズは、多くのテレビマンに影響を与えた。
「加藤とは二人とも何者でもなかった時代からの、本当に古い付き合いで、友達と言えると思います。『飛び蹴り』シリーズはすごくディープなお笑い番組で、いまだに“好きでした”って言われるとうれしいですね。ただ、よく勘違いされるんですけど、加藤とは好きなお笑いの形がちょっと違うんですよね。だから、揉めたこともあったし、ぶつかり合いながら作っていったんで、いい経験だったなと思いますよ」
加藤とはやりたいお笑いの形が違う、という言葉は意外だった。二人の好きなものが一緒だからこそ、爆発的な記憶に残るコンテンツを生み出していたと思っていたからだ。
「全然違いますよ、加藤はすごく細かい笑いを突き詰めていきたいタイプ。僕はわりとざっくりと決めて、あとは現場のノリっていうタイプだったんで。フリとか、間みたいなものは共通していたのかもしれないですけど、二人の違うところを作家の石原(健次)とか、(鈴木)工務店の努力でうまく調整して、面白くしたんじゃないですかね」
極楽とんぼを好きな人たちには、『極楽とんぼのテレビ不適合者』という映像作品を語る人が多い。このDVDの下巻では、極楽とんぼの二人が日本一の不良高校に潜入する、というドキュメンタリータッチで撮られている。今でこそバラエティーをドキュメンタリー風に撮る、いわゆるモキュメンタリー〔フィクションを、ドキュメンタリー映像のように見せかけて演出する表現手法〕で撮る手法は珍しくないが、この作品はその先駆けであるように感じる。
「たしかに、あれは加藤の頭の中と、僕の一番得意なドキュメンタリータッチの撮り方、その2つがうまくマッチした作品かもしれないですね」
そして、加藤浩次と並べて語りたいのは、おぎやはぎ・矢作兼の存在だ。先に書いた加藤浩次、マッコイ斉藤、そして矢作の三人は、お互いが仕事のない時代からの付き合いである。仕事がない頃からの付き合いから始まり、それぞれ各々の分野で成功をしている。二人の印象はどんなものなのだろうか。
「加藤とは20歳くらいの頃からかな? 加藤と俺は同学年で、矢作も2学年くらいしか離れてないから、とにかくずっと一緒にいましたね。加藤はそのあと『とぶくすり』で早めに売れていくんだけど、それからちょっと経ってから、矢作もどんどん人気者になって、“え!? お前も?”みたいな(笑)。
加藤は出会った頃からずっと変わらないですね、あのままです。矢作は大人になりましたね。いや、中身もそうだけど、出会った頃は少年みたいだった(笑)。あと、加藤は北海道出身だから熱い部分も持ち合わせていて、人間くさいところもあるんですけど、矢作は東京の人って感じがあるかな。すごくクールで、誰にでもまんべんなく良いヤツ」