古武術×SNSを組み合わせた斬新な発信活動のなか、メイド抜刀で一躍話題をさらった滝沢洞風。日本各地で開催される祭りでは、早すぎる抜刀から始まる息を呑むような演武を披露し、華やかさの裏に隠された確かな実力がみえる。
天心流兵法代範として伝統を守り続けるかたわら、テレビ出演やモデル活動もこなす姿は、まさに「好きなことを仕事」にしている。そんな彼が、どのようなきっかけで天心流兵法を志すと決めたのか、なぜタレント活動をしているのか、好きを仕事にした理由をインタビューした。
DNAで好きだった日本文化
――滝沢さんは子どもの頃から日本文化が好きだったのでしょうか?
滝沢 はい、大好きでした。小さな頃から『まんが日本昔ばなし』を、ビデオテープが擦り切れるほど見ていたのをよく覚えています。ほかにも、昔話を語るクラブで地元の民話を伝える「語り部」を学んだり、時代劇を見て刀に興味を持ったりしていました。
――周りの環境が、滝沢さんを日本文化好きにしたのでしょうか?
滝沢 というより、DNAで好きだったのかもしれません。その証拠に、同じ環境にいる兄と姉、周りの友人は日本文化に興味がありませんでした。昔話に出てくる傘とか蓑(みの)などの民具で遊んでいる子どもは、僕だけだったと思います。
――そうすると、なぜ日本文化が好きなのかと聞かれても困ってしまいますよね。
滝沢 そうですね。もう「好きだから」ってことしか言えないんです。
――中学や高校の部活は、やはり剣道ですか?
滝沢 いや、僕が通っていた中学校は人数が少なかったせいか、剣道部がなかったんですよ。なので、男子生徒全員が強制的に野球部でした(笑)。高校も同じような環境だったので、知り合いから誘われたボート部に入っていましたね。
――日本文化を好きな気持ちは続いていたのでしょうか?
滝沢 ずっと好きでしたよ。 高校に入る頃には、貯めたお年玉で模造刀を買いました。昔からお土産屋で売っている木刀は持っていたのですが、居合いで振れる刀を握ったのは、その頃からですね。
――大学時代は武道に携われたのでしょうか?
滝沢 居合道部のある大学に入ることができました。居合道は大学から始める人が多く、周りとスタートを一緒にできる部分が魅力でしたね。また、木刀ではなく日本刀を扱う競技であることも自分に合っていると思ったポイントです。大学を探す時点で、日本史を学べて、居合道部のあるところに絞っていたおかげだと思います。
運命の出会いは骨董市でのナンパ!?
――指導者である“代範”として活動中の「天心流兵法」との出会いを教えてください。
滝沢 神社の骨董市で、当時の天心流兵法の師である中村天心先生から、いきなり声をかけられました(笑)。大学からずっと着物で生活をしていたので、先生の目に留まったのかもしれません。そのまま流派の説明をワーッとされて……。それから、のちの10代目の師家となる鍬海(くわみ)政雲先生とも電話でお話をして、“怪しいな”と思いつつも稽古の見学へ行くことになりました。
――最初は怪しいと思ったんですね(笑)。そこから入門を決めたのは、天心流兵法に魅力を感じたからですよね。
滝沢 そうですね。見学で天心流兵法の動きを実際に見たときに「これだ!」って。刀を使っていた時代でも、そのまま通用するような、より実践的な動きが色濃く残されていると感じました。昔の武士と同じく刀を二本持ち、常に戦闘できることを意識した技のバリエーションは天心流兵法の魅力です。