ギャルマインドで世界進出を目指し、職業「ギャル」という肩書きでマルチに活動しているのが、ぱにぱにぱにぱにともちんぱ。現在は「ギャル式ブレスト」専属CGO(チーフギャルオフィサー)として活躍する一方で、現在放送されている歩道・車道バラエティ『道との遭遇』(CBCテレビ)では、酷道愛好家の鹿取茂雄氏との掛け合いが面白いと話題となり、大きな注目を集めている。

ギャルというアイコニックな装いながら、ギャルマインドで社会を変えようとしている彼女は、どのような人物なのだろうか。ニュースクランチでは彼女の人物像を知るべくインタビューを敢行。ともちんぱがどのような幼少期を過ごし、現在のギャルマインドが形成されたのか、そして『道との遭遇』とは向き合い方など、たっぷりと語ってもらった。

▲ぱにぱにぱにぱにともちんぱ【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-Interview】

幼少期は内気な陰キャだったんですよ

――ともちんぱさんは、どのような幼少期を過ごされていたのでしょうか?

ともちんぱ:今の姿を見たら想像できないって言われるかも(笑)。じつは引っ込み思案な性格で……。常に母親の後ろに隠れてたし、学校でイヤなことがあっても、その場では泣けずに家に帰ってから静かに泣いているような子でした。中2までは内気な陰キャで(笑)。今こうしてギャルとして生きているのは、その頃の反動なんじゃないかなーって。

▲現在の圧倒的ギャル度からは想像できない幼少期

――中学2年生の頃に何かがあったんですね。

ともちんぱ:中1の後半ぐらいにヤンキーと友達になって、髪を染め、ジャージを切り刻み、俗にいう中二病になってしまって。そのタイミングでX JAPANが復活して、YOSHIKIがドラムを壊しているのを見て影響を受けてしまったんですよ。

というのも、自分にはできないことを彼らは自由に表現しているじゃないですか。その生き方を知ってから、今まで抑えていたリミッターが外れちゃって……性格が一気に変わったって感じ(笑)。

――そういう自由な生き方には憧れてたのですか?

ともちんぱ:ありました! あったというかー、幼稚園の頃から親の「仕事行きたくない」とか「明日の仕事イヤだ」という言葉に私すごく引っかかっていて。自分は大人になったら“仕事に行きたくない”って口にしたくないって、私は絶対に好きなことをして自由に生きていくんだ!って、強い意思が当時からありましたね。

――幼少期からその考えを持っているのはすごいですね。中学はいわゆるヤンキーと友達だったということですが、卒業後はどうしたんですか?

ともちんぱ:私の家庭は転勤族だったんですよ。何度も転勤を繰り返していたんですけど、特に中学時代を過ごしていた岩手県は私には合わなくて。県民性なのか自分の本心を相手に伝えない人が多かったんです。それもあってグレちゃいましたね。

高校は茨城の学校に通っていて、その頃はずっと好きな俳優さんを追いかけるオタ活をしていました。あと茨城県って“イバヤン”という言葉があるくらいヤンキー人口が多かったので、すんなりと馴染むことができて、振り返れば今までで一番居心地が良かったかも(笑)。

やりたいと思ったことはすぐに行動する

――高校卒業後の進路は決めてました?

ともちんぱ:親は大学に行かせたかったみたいなんですけど、どうしても大学の4年間をダラダラ生活することに対して違和感があって。高校では特進クラスに入れられて、そこで学年1位を取ったこともあったんですけど、完全燃焼しちゃったんですよ。

それからは最下位から数えたほうが早いくらいの順位まで落ちて……。そこで、もう大学には行きたくないなと思って、芸能マネージャーになるための専門学校に行くことにしたんです。

――それもまた意外な進路選択ですね。

ともちんぱ:私はずっとエンタメに関わるぞって決めていたんで、手っ取り早いのがマネージャーかな~っと。でも、マネージャーの仕事はあまりの激務で、自分の中のエネルギーがなくなっちゃって辞めちゃいました。

そこからは、エンタメといったら“ディズニーかも!”と思い立って、ディズニーキャストになって。ディズニーランドで2年間ぐらい働いていたんですけど、このままじゃ社会を知らないまま生きていくことになっちゃう!って危機感を感じて、知り合いのお姉さんに紹介してもらって派遣事務をやることにしました。

そしたら、隣の部署がたまたまエンタメ部署で、そこのボスと仲良くなれば“いいことあるかも!”と思って、自分から話しかけに行って企画を通すことに成功したりして。私、興味ないことはとことんできないんですけど、やりたいと思ったことはすぐに行動に起こすタイプなんですよね。

▲興味ないことはとことんできないんですけどね