世界最大級の民間気象情報会社「ウェザーニューズ」が運営している『ウェザーニュースLiVE』では、24時間365日、天気・気象情報を生配信している。
キャスター陣が伝える正確かつ詳細な天気情報はもちろん、彼ら彼女らが時折見せる“ゆるいトーク”も相まって人気を獲得。勢いそのままに2023年4月には、YouTubeのチャンネル登録者数が100万人を突破し、この夏には5年ぶりのファンミーティングも成功させた。
そんな同番組で、ひときわ異彩を放っているのが、気象予報士・山口剛央さんである。キャスターの天然発言に、山口さんが冷静かつ真面目にツッコミを入れる……という切り抜き動画を見た人もいるだろう。今回、独自の視点で気象解説をする山口さんの人生にスポットを当てた。話を聞いてみると「好き」に対する探究心と、彼が愛される理由が見えてきた。
難解な『理科年表』をむさぼり読む中学生
山口さんは『ウェザーニュースLiVE』で天気予報はもちろん、災害時も先頭に立って情報を伝える解説員。過去の気象・天災のデータを用いて解説をするのが山口流だが、じつは少年時代から何事も記録に残すのが好きだったという。気象に興味を持ったのも、一筋縄ではいかない天気の魅力に取り憑かれたからだった。
「1985年12月17日、中学1年生のとき、地元の京都で大雪が降ったんです。 今、目の前に雪が何センチ積もっているのか、どれだけ降ったのか……天気に興味があったわけでもないのに、なぜだが“記録に残したい”と思いました。
その後、1986年の11月に雨量の観測も始めたんですが、これも“記録に残したい”と思っただけで、天気にのめり込んだわけではありません。実際に気象や地震、火山などに興味を持ったのは1987年の1月、中学2年生のときです」
偶然入った書店で山口少年の目に飛び込んだのが『理科年表』だった。この本は、気象や物理など自然科学のすべてを網羅した資料集であり、“普通の中学生”には少々難しい内容なのは間違いない。
しかし、“記録好き”の山口少年の心はときめいた。
「気象や地震のページを見たときに驚きました。当時、中学生だったので、自分が知っている気象のデータなんて、たかだが5年くらい。その本には、何十年もの記録が残っていたんです。“自分の知らない時代に、世界でこんなことが起きていたのか!”と衝撃を受け、そこから、むさぼるように読み始めました」
記録の側面から天気に興味を持ち始めた山口少年。「気象の仕事に携わりたい!」と、高校2年生のときに理系の道へ。しかし、ここで事件が起こる。
「自分は、もともと数学も物理もダメな人で……。代数・幾何(だいすう・きか)のテストで、答案を全部埋めたのに0点を取ってしまいました。そこで、“これはダメだ”とスパッと諦めて、高3から文系に行きました」
大学卒業間近、山口さんの人生を左右する「試験」が始まった。
「1994年8月に『気象予報士試験』が始まったんです。当時は、“気象の仕事をしたい”というわけではなく、自分がどれくらいの実力があるのか、チャレンジのつもりで受けました。大学を卒業する1995年3月に初めて受けて、学科試験には合格。実技試験には落ちました。1995年4月に製薬メーカーに就職後も何度か受けるなか、これが最後と挑んだ1996年1月の試験で合格しました」
天気図を見るだけで日付がわかる驚異の記憶力
気象予報士試験の実技試験では、こんなこぼれ話がある。
「実技の試験では、過去の天気図が出てくるんですよ。日付は伏せられているんですけど、気象が好きでずっと天気図を書いたり見たりしていたので、試験に出た天気図が、何年の何月のものか、すぐにわかったんです。“これを知らないでどうする。この年のなかでも一番印象に残る天気図でしょ!”って、自分の中では一目瞭然の天気図でした(笑)。
私は、空が大好きで気象に興味を持ったわけではなく、どちらかというと記録の人。天気図を見て“何日に何ミリどこで降った”と覚えるほうが得意だったので、ピンときました」
……すでに気づいた方もいるかもしれないが、山口さんは、自身の略歴や天気において「◯年◯月」と正確に年月を覚えている。「記録」に関しては驚異的な記憶力と知識を持っているのが見てとれるだろう。そんな気象に関する膨大な情報が頭に入っているため、独自の天気予報解説ができるというわけだ。ただ“興味のない世界”に関しては「まったく覚えられないんです」と笑みをこぼす。
話を戻そう。23歳で気象予報士の試験に合格したあとも、製薬会社で働いていた山口さん。同年、会社から名古屋への転勤の打診があった。そこで「自分が転勤するということは、今いる部署は、1人いなくなっても大丈夫なのでは?」と思ったという。
「この機会をチャンスにするしかないと思いましたね。今なら絶対にやらないと思うんですが、転職する気象会社が決まっていないのに、打診があった数日後に辞職する旨を伝えました。辞めると無職の状態だったので、そこから気象会社を探し始めて……。問い合わせた2社目が『ウェザーニューズ』でした」
1997年のウェザーニューズ入社後は、裏方として放送関係の部署に配属。大阪のテレビ局に派遣され、情報番組の気象枠のサポートをしていた。自分の書いた原稿が予報士を通じて世に発信されることに“やりがい”を感じていた日々。しかし、ひょんなことからカメラの前に立つことになる。
「2000年3月31日、北海道の有珠山で噴火がありました。スタッフに“お前、地震や火山のことに詳しいらしいな。出て喋ってくれ”と言われ、テレビに出ることになって……。だから、デビューは気象解説じゃなくて、火山解説だったんです」
2001年、千葉の本社へ異動。関西で火山解説したことを知ったスタッフから頼まれるかたちで、地震に関する番組を持つようになる。定期的に放送されていた番組で、取材はもちろん、自分で撮影・編集も行い、出役兼裏方になった。
そうして時は流れ、2018年7月、予報センターに配属。同年4月に始まったばかりの『ウェザーニュースLiVE』の解説員となった。人々の暮らしに大きく関わる天気の変化。解説員は、その情報を正確に伝える責務がある。山口さんも「責任感」を持って情報を伝えているという。
「例えば、2019年に起こった令和元年東日本台風、1時間に約100ミリの雨が降るなど、記録的短時間大雨情報が頻発した2020年の令和2年7月豪雨など、シビアな天気になった際は、非常に緊張感を持ってお伝えしています。
『ウェザーニュース予報センター』の見解や、自分が伝えた情報で、視聴者を動かすかもしれないし、動かさないかもしれない。間違った情報を伝えたことで、亡くなったり、怪我をしたりすることもあると思うんです」
スタッフ、出演者が信頼と実績を積み重ね、同番組は大人気コンテンツに。キャスターはもちろん、山口さんが登場するとコメント欄で反応する視聴者も多くいる。
「個人的には、自然体でやってきたつもりなので、皆さんに受け入れられてありがたいかぎりです」