水中考古学者(船舶考古学博士)として活躍を続ける山舩晃太郎氏。今年の2月に放送された『クレイジージャーニー』(TBS系)でも取り上げられるなど注目されており、初のエッセイ『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』(新潮社)も重版を重ねるなど“水中考古学の世界”を一般にも広げる活動もしている。

好きなことを仕事にして、世界を飛び回っている山舩氏。水中考古学者としてのこれまでの採掘活動や沈没船を研究する醍醐味をインタビューした。

▲Fun Work ~好きなことを仕事に~ <水中考古学者・山舩晃太郎>>

野球での挫折から研究者の道へ

――まずは山舩さんが、考古学に興味を持ったきっかけを教えてください。

山舩 小さい頃から“歴史好き”だったことが、考古学の道に進んだ一番の理由なのかなと思います。大学まで野球をやっていたんですけど、その合間には『インディージョーンズ』のような冒険映画を見たり、通学時の電車では司馬遼太郎さんの歴史小説を読んだりするような、歴史と関わりの深い青春時代を過ごしてきました。

“東京六大学で野球をしたい”と思った僕は、法政大学の附属高校からそのまま大学に進みましたけど、文学部の史学科を選んだのも「もし野球選手になれなかったら社会科の先生になろうかな」と考えるくらい、歴史に興味があったからなんです。

――大学でも野球漬けの毎日を過ごされていたと思いますが、どのように「水中考古学」と出会ったのでしょうか?

山舩 大学の野球部に、僕よりも20キロくらい速いボールを投げる新入生が入ってきたりして、徐々に“プロ野球選手にはなれないな……”と思い始めて。その頃に卒業論文のテーマ探しのためにいろいろな文献を読み漁っていたら、水中考古学の本を偶然見つけたんです。

いま思い返すと『グラン・ブルー』という映画が好きだったり、海に対する憧れとかが小さい頃からあったんですよね。ちょうど「アメリカの湖で1万年前の頭蓋骨から、脳の組織が発見された」というニュースに衝撃を受けたりもして、“考古学の世界をもっと勉強したい”と思うようになったことが、この道に進むきっかけでした。

――水中考古学を卒論のテーマにされたんですか?

山舩 水中考古学のことを書こうとしたんですけど、日本語の論文があまりなかったので、結局は古代ギリシャ時代のアテネ海軍にあった徴兵制について調べて書きました。

――その後は、アメリカの大学院に進学されましたが、異国での生活は苦労が絶えなかったそうですね。

山舩 「船がかっこいい」という理由で、ポルトガルの造船史を研究することにしたんですけど、英語は本当に苦労しましたよ(笑)。留学先のテキサスは、アメリカのなかでも特に言葉の訛りが強い地域でしたから。現地の語学学校に通って、日常会話はできるようになったし、“大丈夫だろう”と思ったんですけど、大学院の授業が始まるとまったく内容が聞き取れなくて、頭が真っ白になりました(苦笑)。

わからない専門単語をひたすら辞書で調べ続ける日々でしたが、それまでは野球に打ち込んでいたので、じっくりと勉強に取り組むのは人生で初めてだったこともあって、楽しく刺激的な毎日を過ごせていたように思います。それでも辞書とかに頼らずに論文を読めるようになったのはアメリカに行って5年目くらいですね。書くほうは今でも苦労してます(笑)。

▲「フォトグラメトリ」との出会いによって大きく人生が動いた

人生を変えた「フォトグラメトリ」との出会い

――山舩さんは、写真を元に調査現場の3Dモデルを作る「フォトグラメトリ」をきっかけに活躍の場を広げられましたね。

山舩 僕らは発掘した船と設計図を照らし合わせながら、実物の船がどのように作られていたのかを研究していくんですけど、海中での手作業だけでは正確なデータを測れないことがあったんです。船の曲線や孤の中心点が少しでもズレてしまうと、当時の船大工がどのようなことを考えて船を作っていたのかがわからなくなってしまうので、僕らにとって計測は、とても重要な作業であり、大きな課題でもありました。

――どんなきっかけで「フォトグラメトリ」と出会ったんですか?

山舩 僕を指導してくれたカストロ教授から「沈没船の3Dデータを作成してほしい」と頼まれたことが、フォトグラメトリを知る最初のきっかけです。ちょうどロボット工学の世界で使われていた3Dの技術が、考古学の発掘現場でも使われ始めた頃でした。

正確なデータを取るために役立てられないかなと、水中での発掘現場でフォトグラメトリを使ってみることにしたんですよ。実際に使ってみると、かなり正確に計測ができて役に立つことがわかったので、アメリカの学会で使い方を発表することにしたんです。

――参加者の反応はいかがでしたか?

山舩 「何をやっているんだ」というのと「面白いね」の半々でしたね(笑)。でも、注目されたことがわかったので、既に書き進めていた博士論文のテーマを変更して、フォトグラメトリに関する論文を書いて、国際学会で発表したらすごい好評で。それで、世界中から共同研究の依頼がくるようになったんです。

卒業する頃には1年後までの予定が埋まってましたね。そして、大学に残るよりも、いろんな現場で研究したほうが、研究者として成熟できると思い独立して働くことにしました。もちろん、教授が僕の研究のために協力してくださったことは本当に感謝していますし、今でも一緒に仕事をしています。

――カメラやダイビングを覚えるのはどうでしたか?

山舩 これも野球をやっていた経験がいきたんですけど、現場に行く前にしっかりトレーニングして覚えました。カメラであれば部屋を暗くして、海の中と同じような状況で撮影してみたり。どちらも技術なので、現場に行ってすぐにできるものではないですよね。他の人よりも結果を出すためには練習が必要です。