2023年9月、アシックスとプロ契約を結んだ車いすバスケットボール男子日本代表・鳥海連志(ちょうかいれんし)選手。同社初のパラリンピックアスリート契約となった鳥海選手に、プロ転向のきっかけ、来年に開催されるパリ2024オリンピック・パラリンピックに向けた展望などをニュースクランチ編集部が聞いた。
車いすバスケが廃れてしまうんではないか…
――先日、記者会見でも発表されていましたが、アシックスとプロ契約を結ばれました。プロ転向の理由はなんだったのでしょうか?
鳥海連志(以下、鳥海) 自分自身、東京パラリンピックまでは「とにかくメダルを獲る」ということだけにフォーカスしていました。そして、結果的に銀メダルを獲得することができました。そんなパラリンピックが終わり、注目度なども変わっていくなかで、いろいろなものに触れて新たに感じることが多くなったんです。
スポーツでいえば、車いすテニスの国枝慎吾さんとご飯に行く機会がありました。車いすテニスは、国枝さんが長いあいだプロという道を歩まれてきました。その影響もあり、若い選手たちもどんどんプロになっているんです。
一方、車いすバスケットボールは、香西(宏昭)さんしかプロがいなかったんですね。そんな現状に危機感を覚えました。このままでは車いすバスケが廃れてしまうんではないか、と。
そんなときに自分の中で思ったことが、“いまプロになるんだったら僕だろう”ということでした。まぁ勝手な使命感かもしれないんですが(苦笑)。
――いえ、そんなことはないと思います。素晴らしい理由ですね。
鳥海 もうひとつは、車いすバスケ……いや、車いすバスケに限らず、「プロスポーツ選手になりたい」という子どもたちを増やしてしていきたい、という思いがあるからです。アスリートとして「プロはこのくらいのパフォーマンスをする」という見本になりたいし、人としても言動や行動、立ち居振る舞いがしっかりしている姿を見せていきたい。僕がプロになって示していくことに意味があるのではないかと考えました。
――アシックスと契約した決め手はなんだったのでしょうか?
鳥海 以前所属していた会社にいるときから「プロに転向したい」「スリーエックススリー(3人制バスケットボール)の大会を開きたい」と、自分のやりたいことは伝えていたんです。ただ、会社員となると実現が難しいこともあって。会社と話していくなかで、会社を離れたほうが活動しやすいかもしれない、ということになりました。
そういったなかで、コロナが落ち着いてから、知り合いのツテなどをたどって、いろいろな人と会食する機会を増やしたんです。それは、自分が触れてこなかった分野の方からも話を聞きたいと思ったからです。営業の方、プロモーションの方……さまざまな視点から多くのことを学びました。
「自分はこういうことしたいと考えています」と話しをして、相手からは「こういうことを今後やっていきたい」というお話を聞きました。そうやっていろいろな人と話していくなかで、アシックスとは“やりたいことと求められていることが合いそうだな”と感じたんです。僕が発信していることに対して共感してくれて、尊重してくれるっていうところも大きかったです。
――アシックスが鳥海選手に求めていることは具体的になんだと考えていますか?
鳥海 一番大きいのは多様性じゃないかなと考えています。僕がスリーエックススリーを主催している意味でもある「すべての人が分け隔てなく暮らしていける共生社会を作りたい」ということや、「“一生涯スポーツ”として車いすバスケを広めていきたい」ということが合致したのかなと。
車いすバスケで第一線を走っているメンバーは、10代~30代までがほとんどなのですが、クラブチーム単位でいうと、60代~70代になっても活動されている選手もいます。
いま、日本代表としてプレーしている僕が、車いすバスケを通じて感じたこと発信し、興味を持ってくれる、実際にプレーしようとしてくれる人が増える。そうすることによって、車いすバスケも一生涯スポーツになっていったらいいなと思っています。車いすバスケ界の先頭に立って、これからも活動していけたらという思いでいます。