新型コロナウイルスの流行から耳にすることが多くなった「医療崩壊」という言葉。それに関連するとされているのが、高齢化と人口減少が同時に進む少子高齢社会に備えて、国が進めている地域医療構想で、その目標は2025年に設定されています。日本の医療全体が抱える構造的な課題について、フリーランスの病理医として活動している榎木英介氏が話してくれました。

※本記事は、榎木英介:著『フリーランス病理医はつらいよ』(ワニブックスPLUS新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。

ママ医でもパパ医でも子育てには厳しい日本

2022年9月、東京医大の不正入試をめぐる訴訟の判決が言い渡されました。不利益を受けた女性たちに約1800万円の賠償を命じる判決が出たのです。当然の判決と言えます。どう考えても受験生に不利益を生じさせたのだから、賠償は当然だと思います。

ただ、それはそれとして、この問題の解決には、その背景にある構造の問題を解決しなければなりません。

この判決を報じた記事には、私も専門家としてオーサーコメントしています。ここに全文を紹介します。

不正入試に対する補償が行われるのは当然だと思いますが、今後こういうことが起こらないようにするためには、不正入試の構造的背景にもメスを入れる必要があります。医師不足の中、24時間365日の医療を提供するためには、若くて長時間働ける医師が必要だということで、入試における女性、浪人差別が容認されてきました。

医療ではコスト・アクセス・クオリティ、つまり早い、安い、うまいの3つを全て満たすことはできません。病院を集約化すれば、交代勤務が可能になり、コストとクオリティを満たせますが、アクセスが犠牲になります。それが嫌ならば、交代勤務もできず疲弊した医師が頑張り続けるしかなく、クオリティは落ちるでしょうし、不正入試を容認する声は減らないでしょう。医師を増やせばその分コストが増大します。

この問題は、誰もが当事者でもある問題だと思います。みなさんならどうしますか?

【Yahoo!ニュース 榎木コメント]

コスト・アクセス・クオリティの3つのうち、2つまでしか満たせないことを「オレゴンルール」と言います。安い値段で質の高い医療を、いつでも誰でもどこでも享受できます。理想ではありますが、牛丼ではないので3つ全て満たすことはできません。

街や市に1つ総合病院がある状態。そこに医師が配分されています。広く薄くという状態。すると、少ない医師で現場を回していかなければなりません。過重労働でなんとか回すという感じです。

こうなると医師は常にヘトヘトな状態です。当直明けに一睡もせず連続勤務が当たり前。集中力を欠き、ミスする可能性が高まります。私生活は犠牲にせざるを得ません。

今の日本では、健康で昼夜を問わず働く医師が現状を回しています。本来ならば、これは男性でも女性でもいいのですが、男性は専業主婦などの配偶者を得て仕事に専念する傾向が強いですね。

女性も専業主夫の男性配偶者を得て、同様のことをしてもいいのですが、なかなかそうはなりません。男性医師への要求が高い状況が続いてしまいます。

X(旧ツイッター)では、もうずっと「ママ医」批判が、ぶり返し続けています。5時を過ぎると仕事を独身医師に任せて帰ってしまうという批判です。ママ医だけではなく、パパ医がガッツリ子育てに関わることも、当然、批判の対象になります。

こうした批判が出るのも、交代医師を配置できない現状が背景にあります。本来ならば医師同士がいがみあっても仕方ないので、怩(じくじ)たる思いです。これは構造問題ですよね……。

▲ イメージ:kouta / PIXTA

医師を増やすか? 病院を減らすか?

こうした状況を改善するには、どうしたらよいか。

1つは医師を増やす、もう1つは急性期病院の集約化です。

医師を増やすと、医師の過重労働は解決されるでしょう。しかし、医師養成に時間とお金がかかること、医師ががんばって患者を集めてしまうことによる「医師誘発需要」が発生し、医療費がかかることなどお金がかかる。

そして、医師自身も、医師数増加で過当競争となり給料が減るでしょう。医師会などが医師定員増員に反対するのは、これも一因です。

では、急性期病院の集約化はどうでしょう。

これは住民が反対することが多いでしょう。集約化によって家から病院が遠くなると、高齢者にとってはきつい。公立病院の集約化は、首長選の争点になりやすく、病院をなくします、減らしますという候補は当選しづらい。

民間病院に集約化の統制はなかなか利きません。公的病院と民間病院が混在する不完全な市場のままでは、集約化は困難です。では現状の病院数のまま、医師のワークライフバランスを厳格化したらどうなるか。24時間365日の手厚い医療は難しいでしょう。

こうして考えれば、医学部不正入試の構造的解決には、一般の人たちも含め、誰もが当事者とならざるを得ません。当然、私もその一員です。フリーランスという異形の働き方は、こうした矛盾の仇花だと言わざるを得ません。

私自身が考えるのは、自らのフリーランス、収入を捨てても、社会的共通資本として医療を定義し、医師を国営化・公務員化してしまい、それに伴って集約化を進めると同時に、診療科や勤務地の自由をある程度、制限するしかないのではないかと思っています。

しかし、こうしたことは開業医主体の日本医師会や民間病院、そして収入が減る医師の多くが反対するでしょう。

こうして振り出しに戻ってしまいます。この問題は綺麗事だけでは済まないということだけは理解していただけたらと思います。