プロ2年目のキャンプで早くも訪れた「その瞬間」。その瞬間からケガをしても必ず復帰し、不死鳥と呼ばれた館山昌平氏のリハビリ人生が本格的に始まった。引退した2019年9月21日までの17年間、ヤクルト一筋の名投手、館山昌平。彼だからこそ語れるトミー・ジョン手術に至る決断と、手術とリハビリの模様を明かす。
※本記事は、館山昌平:著、長谷川 晶一:著『自分を諦めない -191針の勲章-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
プロ2年目のキャンプで早くも故障に見舞われる
今でも、「その瞬間」のことはハッキリと覚えている。
今から思えば、原因は「ボールが速くなりすぎたこと」だったと思う。
大学3年の夏に肩を壊して、大学4年の夏にようやくボールを握れようになった。そして、プロに入ってからピッチングフォームをサイドスローに変えたことで、急激にスピードが上がった。肩の痛みは何もない。だから、気持ちよくどんどんスピードボールを投げ込んでいく。
そして、そのしわ寄せが右ひじに集中することになったのだ。
その日、古田さんを相手にブルペンで投げていた。
106球目のことだった。投げた瞬間に「ブチン」と鳴った気がした。
実際に音がしたわけではないが、しかしこの瞬間、確かに「ジュッ」と、何かが焼け焦げるような感覚が右ひじに走った。
この瞬間に僕は「熱っ」という感覚になった。105球目までは「多少、ひじが張ってきたな」という感覚はあった。しかし、続く106球目で突然、アイロンを押し当てられたような熱をひじに感じたのだ。
不安を抱えたまま、107球目を投げてみる。力のないストレートは、18.44メートル先でミットを構える古田さんまでの半分の距離で弱々しくバウンドした。
球界を代表する名捕手に対して、本当に失礼なことだと承知しつつ「もう投げられません」と宣言して、僕はピッチング練習を切り上げることにした。
思えば、この瞬間から「館山昌平とリハビリ」が本格的に始まることになった。長く険しい道のりの始まりだった。