浦和レッズが初めて世界に挑んだ日

2007年、クラブW杯という大会にアジア王者として浦和レッズが参加することになったとき、そこにはロマンしか感じませんでした。

ゲームの世界でしか対戦できなかった世界の強豪と、愛する浦和レッズが公式戦で対戦できるのです。

当時のレッズは、阿部勇樹選手や田中マルクス闘莉王選手、鈴木啓太選手、長谷部誠選手、小野伸二選手など日本代表がズラリ。さらにワシントンやポンテという、歴代で一番タレント揃いだったあの時代じゃなければブラジル代表でもおかしくない、そんなワールドクラスの外国籍選手たちがいました。

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個の力に関しては、Jリーグでも歴代最強クラスのメンバーでした。

そんなレッズは、アジアを劇的に、しかし個で劣ることは一度もなく、さらにサポーターの力による圧倒的なホームアドバンテージを活かして優勝。

ついに、Jリーグチームとして初めて世界最強に挑むことになったのです。

相手は欧州王者・ACミラン。カカやピルロらを擁したこのチームの全盛期は04-05辺りでしたが、当時も世界屈指の強豪です。

「世界とはどれくらいすごいんだろう」「レッズはどれくらい通用するんだろう」……そうワクワクしながら臨んだ試合は、ロマン以上に悔しさが残るものでした。

そうです。僕含め浦和サポーターは悔しかったんです。

0-1という点差。当時のスタッツを見ると善戦にも見えますが、僕の記憶にあるのは、果てしなく遠いミランゴール。

あと何試合やったら1点取れるのだろう……というくらい余裕で防がれ、浦和の守備の要の闘莉王選手が、さらには当時の日本最速DFだった坪井慶介選手が、カカに何度もスピードでぶち抜かれ、当時のレッズで唯一絶好調だった相馬崇人選手の果敢な仕掛けも、ミランでは本来サブであり、ウイイレ以外ではあまり名前を見ることがなかったカラーゼに完封されます。

「個」で勝ってきたチームが、「個」で全くかなわないのです。

では、レッズはよく1失点に抑えたと言えるのかというと、イタリア伝統のウノゼロの美学がまだ生きていた当時のミランが『1-0で良しとした』としか見えない余裕のある試合運びをされただけでした。

この試合を見たレッズサポーター以外の人は「世界すげぇ!」と思ったかもしれないですが、レッズサポーターは違います。

「俺たちのレッズはもっとやれるんだよ」

心からそう思っていました。

▲世界との差を痛感した試合だった イメージ: yamasan / PIXTA

このシーズン、メンバーを固定して戦うオジェック監督の采配により、選手はこの時期、疲労困憊でリーグ戦でも大失速している状態。相馬選手は唯一シーズン終盤にレギュラーを掴んだからキレが良かった、という皮肉な状況でした。

だからこそ、世界のレベルと戦えることにロマンを感じるより、

「次は本来の力を世界にぶつけてやるんだ!」「もっとやれるんだ。もっと世界に響かせるんだ!」

と、リベンジを胸に誓いました。(ここから、クラブW杯にまつわるロマンと悔しさにまつわる話を時系列順に書いていったら、2023年に辿り着く前にコラムを3週分に分割しないといけない長さになってしまったので、今日のところは先に2023の話)