2つ上の先輩が中村憲剛さんの母校に入学

前々回のコラムで、2007年の成立学園の思い出について書いたのはお読みいただけたでしょうか?

いや、読んでなくても大丈夫です。一見さん大歓迎です。J3チームが地方アウェーに行ったときのゴール裏くらい、一見さんも受け入れています。

さて、そんな先日のコラムで

「自分の地域の代表だけは一番強い高校に勝ち上がってほしい」

と書きました。

しかし、それとは別に自分たちを倒した学校や、仲間や友達がいるチームに勝ち上がってほしいと言う気持ちもある、とも書きました。

僕にとってのそれは、成立学園黄金期の一年前、2006年の都立久留米高校であり、カキハラくんでした。

カキハラくんは少年団と中学校の2つ上の先輩で、中学ではキャプテンでした。2つ年上の補正がかかっているので、実際のところ当時どれくらいのレベルの選手だったのかはわかりませんが、ゲームメーカーのボランチでカードコレクターでした。

唯一覚えているプレーは、豊島区大会の準決勝で相手の浮き玉のスルーパスを手ではたき落とし、累積警告で出場停止になったプレーです。あんまり中体連の区大会で出場停止にならないよ。

そんなカキハラくんですが、学力的にはもっと上の高校に入れたそうですが、サッカーがやりたくて久留米高校に進学。

久留米高校は都立なので、私立に行く負担を親にかけられないけどサッカーが強い学校に行きたい、という人たちが集まるので、部員も多く、過去に一度だけ全国にも出ている高校でした。

ちなみに中村憲剛さんの母校です。

当時は今と違って、ベスト8に都立が1~2校は入る時代でしたが(翌年に全国ベスト8の三鷹とか、都立駒場とか)、カキハラくんの代の久留米高校は苦戦を強いられていました。ちなみに、これは僕の意見ではないです。カキハラくんが言っていました。

それでも「俺らの代のボランチめちゃくちゃ上手くてさ! あいつとポジション争うのはきついわ!」と顔をしかめるカキハラくんは楽しそうで、どこか羨ましかったのは覚えています。

しかし、僕がカキハラくんを追いかけて久留米高校に行くことはありませんでした。と、いうのも久留米高校は統廃合の関係で、「久留米高校」として戦うのはこの年が最後。僕らの代と一つ上の代は生徒の募集をしていなかったのです。

そんな3年生だけで挑む久留米高校最後の高校選手権が始まる直前の9月、地元の夏祭りで久しぶりにカキハラくんと遭遇しました。

「選手権いけそうですか?」

と聞くと

「俺らの代、強くないよ。ベスト16くらいだと思うなぁ」

と、わりとあっさりした返答が返ってきたことをぼんやりと覚えています。