「〇-ロ眼鏡」がトレードマークの成田悠輔の弟、という文脈で知った方も多いだろう。成田修造は、兄に劣らず才覚あふれる一流のビジネスマンだ。慶應義塾大学在学中に起業し、その後は日本最大級のアウトソーシングサービスを提供する株式会社クラウドワークスに創業期から参画し、同社の上場に貢献し20代の若さで副社長まで上り詰めたという経歴を持つ。
現在もエンジェル投資家や起業家としてビジネスの世界で戦いを続けている成田修造。14歳で父親が失踪、一家破産。その成功の裏には壮絶な「土壇場」があった。あなたは成田修造のように生きられるだろうか。
父が失踪したことで「危機感」が生まれた14歳
彼の最初のターニングポイントは、14歳で経験した父親の失踪だ。成田が小学校に入学してからは、浮世人だった父親もサラリーマンに落ち着き、両親共働きで世帯年収もそれなりにあったという。
だが、父親の失踪によって「いわゆる都内の一般的な生活」が一変した。父親と共依存のような関係にあった母親も、精神的・肉体的にダメージを負い働けなくなってしまったのだ。結果的に成田家は破産に追い込まれてしまう。
誰の後ろ盾もなく自立して生きていかなければならない。「14歳ながらに危機感のようなものは醸成されたかもしれません」と当時を振り返る。
父親が失踪した理由は、いまだにはっきりとわからないらしい。淡々とこう推し量る。
「まあ、母親を含め、いろんなものから逃げたくなった、ということなんでしょうけど。消える直前には祖父母が亡くなっていたんです。とくに母方の祖父がすごく厳しい人で、そういうブロッカー的な存在がいなくなったこともあって、緊張の糸がほどけてしまったのかもしれません」
成田が通っていたのは私立の中高一貫校だった。学費の面は奨学金を利用することでなんとかなったという。学校生活が暗かったわけではない。部活ではバスケットボールに打ち込み、スポーツだけやる人じゃ面白くないと思って、本や音楽の世界にもどっぷり浸った。扉を開いてくれたのは、兄だった。
批評作品などを中心とした読書リストを授けられ、それを読んだ。また、兄が通っていた東大の講義に潜り込み、『マイルス・デイビス論』や『次世代音楽論』を受講したりもした。名著や名盤が彼の中に眠っていたベンチャーマインドも刺激した。
「例えば、マルクスを読んだときに、資本主義ってこういうふうにとらえるのか、という視点が内容以上に面白かったんです。学校の勉強が、与えられた問いを銃で撃つゲームだとすれば、マルクスは問いそのものをつくっている、そっちのほうが楽しいなと。
音楽で言えば、マイルス・デイビスは新しいジャズのジャンルをつくることに挑戦していた。ビートルズもそうで、インド音楽やクラシック音楽とポップスを融合させていた。そして彼らとスティーブ・ジョブズがやっていることって、突き詰めていくと似ているんですよ。現状を疑って、概念なり曲なり製品なりをアップデートして世に届けていく、という点においては」
そして大学入学前の18歳の時点で「自分はビジネスの世界で生きていく」と決めた。尊敬する兄と比較して、自分の適性を見つめた結果だ。