「この10年は、まさにストラグル(もがく)する感じでしたね」と、人生の土壇場を振り返ったのは元陸上選手の為末大。現役時代はオリンピック3大会に出場し、世界陸上選手権では銅メダルを2回も獲得した400mハードルの名選手だ。引退後はスタートアップ支援などビジネスの世界に身を移し挑戦を続けていた。そこで待ち受けていた試練とは、そして気づいた自分の原点とは。

▲俺のクランチ 第34回-為末大-

スタートアップ支援事業に挑戦していた

為末は2012年に現役を引退。同年にスポーツ合宿事業を展開する会社の取締役に就任するなど、一息つくまもなく社会に出て挑戦を始めている。

華々しく見えた競技生活でも、キャリアの終盤では“落ちた”感覚があり「このままじゃ終われない。俺はまたイチからやるんだ」と期するものがあったという。そんな為末に友人から声がかかり、スポーツ合宿や義足開発などの事業を手伝っていた。経験を積むうち、自分の会社でやりたいことも見えてきた。それがスタートアップ支援事業だった。

「自分の会社でもいろいろやって3~4年たった頃です。日本にはスタートアップが必要だ! そのコミュニティを作ろうと。それで原宿にオフィスを借りて、社員も15人ぐらい雇いました。支援した会社は一番多いときで7社ぐらいあったでしょうか。IPO(株式公開)にいきそうな会社も出て、そこそこのインパクトは残せたんです」

ただ、結果だけを見れば、事業はスケール(拡大)しなかった。会社は数年前に人員整理を終え、現在は秘書や会計担当など数人のスタッフを残すのみとなっているという。

「会社経営をしていて精神的に一番ツラかったのは、この人員整理のタイミングでしたね。スタートアップの会社では“あるある”ですし、社員にしても藁船みたいな会社に期待もしていなかったとは思うんですが……。やっぱり、社員に対してのギブアップ宣告はなかなかできませんでした」

社員からリーダー失格宣告を受ける

なぜ、為末は会社経営でつまずいてしまったのか。それは事業内容というより、リーダーシップがとれないというマネジメントの部分だった。

「全然できなかったですね。研修を受けたり、自分なりに努力もしたんですが。最終的にはダメだなと。何かのリーダーになる、少なくとも“束ねていく”というのは無理だなと思いました」

具体的には、部下への指示出しや進捗確認ができなかった。チームとしてではなく、選手一人ひとりが自立して活動している陸上競技での経験が裏目に出たのだ。

「いま考えたらよくわかるんですけど、陸上競技って“現地に自由集合、自由解散”なんですよ。大きな目的を共有するタイミングで集まって、それが終わったら解散。それを3回ぐらい繰り返してオリンピックを迎えるという感じなんですね。つまり、日常的に何かを確認したり、定例のミーティングをしたりということがない。でも、会社では指揮命令系統が私にあるので、社員は勝手に動けないですよね」

▲ビジネスの世界で経験した「土壇場」

学生時代を振り返ってみても、リーダーとしてぐいぐい引っ張るタイプではなかった。陸上部のキャプテンも務まらなかったという。

「昔からちょっとアウトサイダーというか、個人主義的なところがあって。そこを中高の先生はよく見ていて、私をキャプテンに指名しなかった。大学だけは一番成績が良い選手がキャプテンをやる、というルールでしたので任されたんです。でも、それも途中で半ば失格みたいな感じになったんですよ。チームの一体感を作る気がない、と」

そもそも陸上競技におけるリーダーシップは、他の団体競技のそれとはかなり異なるようだ。

「(法政)大学時代、隣で練習していたのがラグビー部だったんです。当時キャプテンだった熊谷(皇紀)を見ていても全然違いましたね。結局、陸上競技はリーダーがいなくても成立するところがあるんです。何か戦略を共有する、という発想もないですから」

反対に選手選考の意思決定、精神的な安定感、といった陸上競技のリーダーにこそ求められる資質もあるようだが、それはビジネスの世界でわかりやすく使えるものではない。結局、為末は社長時代にも、リーダー失格宣告を受けてしまう。

「指示出しや進捗確認は途中からやるようにしたんですが、上手にできない。なんて言うんでしょう……その日、不思議に思っていることに頭をとられて、その話になっちゃったりするんですよね。そんなやり取りを繰り返しているうちに、社員に“為末さん、あんまり向いていなんじゃないですか”と言われてしまいました」

“やっぱりそうか”と自分の弱点を素直に認めることはできたという。苦手なことを認め、諦める。自分自身を理解する力は、コーチをつけずにパフォーマンスを上げてきた陸上競技での経験がいきたという。