野田とふたりで先輩芸人に怒られた日
そういや、こういうエピソードもありました。
私の相方・かわさんが、当時の先輩芸人のファンにちょっかいを出したとかで、何故か、私と野田が呼び出されて何時間も立たされた事がありました。
野田がずっと、耳元で「僕、絶対関係ないでしょ」と言ってたのを覚えています。
それくらい一緒に居ました。
私はB’zの大ファンで毎年ツアーのコンサートに行っていたのですが、当時、仲良かった女の子にドタキャンされて、急遽、野田クリスタルを呼んだら、アイツがずっと東京ドームの最前列で、自分の家で握ってきたオニギリを食べていて、ブチ切れたこともあります。
川崎にあるチネチッタのタイスキ鍋を食べなから「将来、こういうお笑いがやりたい」「こういう番組を持ちたい」と夢を語り合った日のことも覚えています。
そのあと家に帰ったら泥棒に入られていて「お前のせいだ」と野田罵ったら、逆ギレされました。
それを今も変わらず話せる関係、幸せな話です。
お互い好き勝手なお笑いをやり、今の相方・村上に出逢い、「コイツとマヂカルラブリーをやります。村上もライブに出させて下さい」と紹介された時、覚悟決まったんだなと思いました。
そのあと吉本入ってからも、決して順風満帆では無かったとは思います。
無限大の空気に馴染めず、M-1も一旦終わり、マヂカルラブリーが苦戦していた時代がありました。
その時、野田クリスタルは、私の相方・かわさんに電話をしていました。
野田「モダンさんは今でも会議室でお笑いやってますよね。何年かしたらまた僕も混ぜて貰って、3人でやりませんか?」
川崎「おう、やろう」
それから大宮に行って、通常の吉本ではない、大宮吉本のノリを作り上げていきました。
私には、それが地下のノリのように見えました。
そこからまた、マヂカルラブリーは息を吹き返しました。
2023年、マヂカルラブリーは『キングオブコント』に参加していました。
勿論、我々モダンタイムスも。
お笑い三冠王を目指していた野田クリスタル。
『M-1』『R-1』『キングオブコント』の優勝が条件。
これを達成したらとんでもない。まさに「お笑い王」。
末恐ろしい弟子であります。
その夢、師匠として立ちはだかりたい。
これは私の数ある夢の1つです。
師匠を倒さないとお笑い三冠王になれない――。
ドラマとしても最高です。
とりあえず2023年は、2組とも『キングオブコント』準々決勝で散りましたので、夢は来年までお預け。
マヂカルラブリーが今の地位に登り詰めるまでのあいだ。
そのあいだ、ずっと。
「友達」が俺らの名前を出してくれていました。
完全に売れる前から、ずっと。
マヂカルラブリーに限らず、アルコ&ピースとランジャタイも、ずっと。
我々は彼らにどんな恩返しが出来るのだろう。
ただただ当時、一緒に売れなかった友達。
一緒にやってきた仲間。
いつも、モダンタイムスだけ、どうにもなってない。
それを何とかしようとしてくれてる。
我々に出来る事は、変わらず辞めずに「友達、いつもありがとう」と言うだけ。
逆にこれだけは出来る。
だから
「どうか皆様、友達だけは大切にして下さい」。
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