鹿島がレアル・マドリードを追い詰めた夜
そして、ミシャ・ペトロビッチ監督時代のレッズは、世界に挑むに相応しいサッカーをしていました。
常に美しく強いサッカーで試合を支配し、多くのチームが5バックを敷く対レッズ布陣に手を焼いて、Jリーグでは苦戦する日もありましたが、逆にクラブW杯はやりやすいのではないか、という感覚さえありました。
世界でも唯一無二の特殊可変式フォーメーション3-4-2-1は完成の域に達し、その特殊な立ち位置で世界を翻弄する準備はできていました。
そして2016年。リーグ最多勝ち点を獲得したレッズ。アジア王者として出られないのは不本意ではありますが、開催国枠でのクラブW杯出場が現実味を帯びてきます。
しかし、この年にJリーグが採用していた2ステージ制という興行的な優勝決定戦を開催する仕組みの弊害により、年間勝ち点1位の浦和は、年間勝ち点が15少ない鹿島アントラーズにリーグ優勝を譲る形となったのです。
ミシャレッズの脆さや鹿島の勝負強さと言えばそれまでですが、いまだに納得はいっていません。
僕は決勝まで買い揃えたクラブW杯のチケットを、歯を食いしばって全て鹿島ファンに譲りました。
そんななか、テレビを通して目の当たりにしたのは、名門レアル・マドリード相手に奮闘する鹿島の姿でした。
穿った目で見ていたからかもしれませんが、レアルのプレッシャーの前に、いつも通りパスをつなげられるのは柴崎岳選手と西大伍選手、金崎夢生選手くらいだったと認識しています。
それでも先制されたあとに粘り強く戦うと、柴崎選手が2発のゴールを決めてみせるのです。
僕は思いました。
「これが日本一の名門! 鹿島だ!!」
そう、またもめちゃくちゃ興奮していました。
逆転です。初めて日本のチームが欧州王者を追い詰めたのです!
柴崎選手といえば、子どもの頃から天才として僕でも名前は知っている選手でした。僕の大学のキャプテンでプレスの鬼だったタクミが、インターハイで2つ下の柴崎選手とマッチアップしたときは、
「ずっと俺越しにピッチ全体を見ていて、俺のことなんか一度も見てなかった……」
と言うなど、
「こういう選手が日本代表のボランチになるんだ」
と思わされる選手でした。
その柴崎選手のゴールは美しくもありましたが、特に2点目は右足を切られるなかで、利き足と逆の左足で打つしかない状況にドリブルで持ち込み、左で決めきった。
ある種、シュート成功率は下がるけどそうしないとシュートを打てない、という状況下でのスーパーゴールでした。それを決めちゃうところが俺たちの柴崎岳なんですけどね。
本来なら浦和がそこにいるはずだったのに、という悔しさは
「なんで俺チケット売ってんねん! 見にいきゃよかったよ!」
という別の悔しさに変わっていました。
それでもレアルは、ロナウドのゴールですぐさま追いつきます。またキミか。ガンバ戦と違って勝負の鬼みたいな顔しているな。
そして試合は終盤へ。延長に入れば圧倒的に鹿島が不利。それくらい余力には差があるように見えました。
しかし、鹿島にはもう1人、天才がいました。
エレガントなゲームメイクの天才・柴崎選手とは違う、勝負事の天才、相手のイヤがることをさせたら日本一の金崎夢生選手。
金崎選手はずっと勝負どころを待っていました。
そして、1枚イエローカードをもらっているセルヒオ・ラモスを背負いながらキープすると見せかけ、トリッキーなターン。
その日ずっと、力強く体を張っていた伏線を回収するようなチャラいプレーで完全に裏をかくと、セルヒオ・ラモスは思わずファールで金崎選手を止めます。誰がどう見てもイエローカード。2枚目で退場です。審判がカードに手をかけます。
これは、鹿島が勝てる!!
そう日本中が騒めいた瞬間でした。イエローカードを取り出したレフリーは、ラモスの顔を見て
「あ、やばい。ラモスにはさっき1枚出していたんだった。退場しちゃう」
と、自分のジャッジでレアルが負けることを恐れたかのようにカードを引っ込めたのです!!
なんそれ!!!!!
そしてこのシーンがターニングポイントとなり、延長では力尽きた鹿島からレアルが2点をもぎとり勝利したのです。
僕はなんだか複雑な気持ちでした。レッズはJリーグのレギュレーションに出場権を奪われ、鹿島は名門の圧に数的優位を奪われたのです。
「あそこまでいったら、鹿島に勝ってほしかった」
という“いちサッカーファン”としての思いと、
「レッズがレアルとやったとして、あそこまでやれただろうか?」
という浮かべたくない疑問が頭をもたげ、それを打ち消す意味でも、アジア王者として文句のつけようもなく世界に挑み、やれるところを見せるんだと、やっぱり最後は悔しさを前向きな気持ちでやり込めたのでした。
その翌年となる2017年、再びレッズは世界挑戦権を手にします。
この年、突如として守備が崩壊したミシャレッズはシーズン中に監督が交代。後任の堀監督が長年ミシャの下でやってきた3バックを解くなどして立て直すと、『埼スタの魔物』、いや『赤い悪魔』とも言えるサポーターのパワーと選手たちの積極的なファイトで、アウェーのビハインドをホームで跳ね返し続けて優勝を遂げました。
しかし、それは欧州王者レアル・マドリードへの切符とはなりませんでした。
僕は、クラブW杯に出場した時点でそこ(欧州王者)に挑む大会、という認識で臨んでいましたが甘かったのです。そのひとつ手前、開催国枠のアルジャジーラ(UAE)に守りを固められて屈するのです。
油断していたのは僕であり選手ではありません。僕の油断は選手になんら影響は与えないのですが、またしてもガンバや鹿島の挑戦のようなロマンを感じることができない悔いが残る大会になってしまいました。
そして、2023年クラブW杯へ続きます。
ひとつ前の回へ続く(前編で最近の話をする奇妙な構成になりましたが、なるべく最近の出来事はタイムリーに書きたいじゃないですか笑)。