海上保安庁は防衛大臣の統制下に入っても、「軍事機関」に変身して武力を行使するようになるわけではなく、あくまでも法執行機関として本来与えられている任務・権限で業務を行うことになる。海上保安庁が自衛隊とともに武力を行使し、国防の任務に就くということではない。元海上保安庁長官・奥島高弘氏が現状を解説します。
※本記事は、奥島高弘:著『知られざる海上保安庁 -安全保障最前線-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
海上保安庁は防衛大臣の指揮下で武力を行使するのか?
政府は2023年4月、他国から武力攻撃を受けるなどの有事の際、防衛大臣が海上保安庁を統制する手順などをまとめた「統制要領」を策定しました。これは自衛隊法第80条に基づいてつくられたものです。
統制要領がつくられたことを受けて、世間では「海上保安庁は防衛大臣の統制下に入ると、自衛隊と同様の防衛任務に就いて武力を行使する」と勘違いしている方たちも多いようですが、そうではありません。海上保安庁は「非軍事の法執行機関」です。
有事の際に防衛大臣の指揮下に入ったからといって、海上保安庁が自衛隊に編入されるということではなく、海上保安庁が軍隊に変身するわけではありません。ジュネーヴ諸条約第一追加議定書第43条3に規定する「軍隊への編入」には当たりません。
統制下に入っても、防衛のための武力の行使など、新たに軍事的な任務が追加されるわけではなく、海上保安庁のこれまでの任務や権限に変更はありません。非軍事の法執行機関であることに変わりはないのです。
また、防衛大臣による「統制」は、防衛大臣が海上保安庁の船艇や飛行機などに直接命令を出すのではなく、あくまでも海上保安庁長官に対して指揮を行うとされています(自衛隊法施行令第103条)。
つまり、防衛大臣が海上保安庁長官を介して、海上保安庁を間接的に指揮するということです。そのため、防衛大臣の統制下にあっても、海上保安庁は通常通り、海上保安庁長官が現場の巡視船艇・航空機などを指揮する体制を維持することになっています。
統制要領で明確になった自衛隊との役割分担
では、有事の際、防衛大臣の統制下に入った海上保安庁は何をするのでしょうか。
政府は統制要領に関し、「自衛隊は作戦正面に集中する一方、海上保安庁は国民保護措置や海上における人命の保護等で最大限の役割を果たす」ことによって「国民の安全に寄与するとともに、自衛隊の出動目的を効果的に達成」することができる、と説明しています。
少しわかりにくい表現ですが、要するに、自衛隊が国防の任務に集中・専念できるよう、国民保護措置などの国防以外の任務を海上保安庁が最大限担うということです。少し補足しておくと、自衛隊法第3条第1項には、自衛隊の任務は「国の防衛」と「公共の秩序の維持」と規定されています。
有事の際に海上保安庁が防衛大臣の統制下で、国民保護措置などの「公共の秩序の維持」を最大限、自衛隊と連携して行えば、あるいは自衛隊に代わって行えば、自衛隊は「公共の秩序の維持」に充てるのに必要だった勢力などを、「国の防衛」に充てることができます。その結果、自衛隊が国防任務に集中・専念できるということです。
以上のことから、海上保安庁は防衛大臣の統制下に入っても、「軍事機関」に変身して武力を行使するようになるわけではなく、あくまでも法執行機関として本来与えられている任務・権限で業務を行うことになります。自衛隊とともに武力を行使し、国防の任務に就くということではありません。
有事の際にも、海上保安庁の非軍事性が維持されるという点については、以前から国会答弁においてたびたび確認されてきました。それが今回定められた統制要領においても改めて確認されたというわけです。
一方で「海上保安庁も諸外国のコーストガードのように、有事の際には軍事機関となって、自衛隊とともに武力を行使して防衛任務にあたるべきだ」という意見もあります。諸外国を見渡せば、たとえばアメリカ沿岸警備隊のように、有事の際には海軍に属して軍隊として活動するよう定められているコーストガードがあることも事実です。
しかし、コーストガードのあり方は各国で千差万別であり、決まった形はありません。コーストガードが設置された歴史的な背景や、その国が現在置かれている状況によってもそれは大きく左右されます。
つまり、有事だからといってコーストガードに軍事活動をさせることが、どこの国にとっても正解になるわけではありません。当たり前の話ですが、一般的な政策でも、外国がやっているからといって、それをそのまま日本で実施してもうまくいかないケースは多々あります。
本当に議論されるべきは、そのやり方が日本にとってベストなのかどうかです。はたして海上保安庁を軍事機関化すること、あるいは有事の際に軍事活動を担わせることが、日本の安全保障能力を最大限に発揮するための最適な選択なのでしょうか。
言うまでもなく、有事という非常事態においては、その危機を乗り越えるために国を挙げての対処が必要です。
そして、国家が最大のパフォーマンスを発揮するためには、各機関が保有する知識・技能・装備を踏まえた役割分担を明確にし、得意分野を融合させることが重要になります。
各機関が得意分野を担うことにより、各機関のパフォーマンスが最大となりその融合体としての国家のパフォーマンスも最大になるのです。「餅は餅屋」です。
不得意な分野を無理に担わせたところで、期待する成果は得られないでしょう。スキー選手を未経験のスケートの大会に出場させて「がんばって優勝してこい!」と言っても無理な話です。
それよりも、お互いの得意分野を活かした連携・協力をすることで「1+1=2」以上の力を出すことができる体制を平時から整えておくことが大切です。
海上保安庁は軍隊としての装備も、訓練もされていません。軍事活動はけっして海上保安庁の得意分野ではありません。他方、国民保護措置や海上における人命の保護活動などは海上保安庁の業務であり、日頃から訓練もされている得意分野です。
有事の統制下において、海上保安庁がこうした役割を担うことは、国家が最大のパフォーマンスを発揮するという観点からも理にかなっています。
こうした事実を踏まえても、統制要領で海上保安庁と自衛隊の役割分担が明確に定められたことは、国家の最大パフォーマンス発揮につながる、非常に意義深いものだと思います。