心理的な余裕が生み出すハイパフォーマンス

東京五輪のあとに“燃え尽き症候群”を経験するなど、悩める彼女に転機が訪れたのは、2021年11月に日本代表のコーチに就任したジェローム・グース氏との出会いだった。

「それまでの私は、サーブルでは前に出るほうが有利だと思っていたので、試合ではとにかく前に出て、先に仕掛けることを強く意識していたんです。でも、後ろに下がった場面でも、意外と得点を奪えていることに気づかされて。

ジェロームの指導によって、戦い方のアイデアやレパートリーが増えましたし、今までよりも余裕を持って試合に臨めるようになった。さまざまなタイプの選手に対応できるようになったことが大きかったと思います」

ジェローム氏の指導によって、戦術やステップに磨きをかけた江村選手は、昨年2月にはサーブルの日本人選手としては初めての世界ランキング1位(※2023年12月発表のランキングでは3位)に輝くと、昨年7月にはフェンシング・世界選手権で連覇を果たすなど、安定した戦いぶりを見せている。

「世界選手権で初優勝したときは、“もしかしたら、まぐれかも……”と思ったりもしましたけど、連覇できたことで、自分自身に期待を持てるようになりましたし、周りの環境も変化も感じています。皆さんの期待を背負うつもりでオリンピックに臨みたいですし、そのためにはしっかりと自分のことを信じて、世界一になるために相応しい準備をしていかないといけないと思っています」

自身を「他の人よりもメンタルが弱い」と評する江村選手の躍進は、心理面での変化も大きな理由だという。心理学を軸にしたメンタルトレーニングに定評のあるスポーツドクターの辻秀一氏の指導を受け始めると、ピスト上での心理的な余裕が生まれ、高いパフォーマンスが維持できるようになった。

「これまでは負けず嫌いな性格が災いして、試合中にイライラが募って自滅したり、完璧主義な性格が、かえってさまざまな不安を呼び起こしてしまっことがあって……。イライラする自分を責めるのではなく、機嫌の良い状態で過ごすことの楽しさやメリットを自分に刷り込ませていくトレーニングを通じて、試合でも全力のパフォーマンスが出せるように心を整えていきました」

江村選手が出場するサーブルの試合は、1試合3分間×3セットで行われ、15点を先取(※決勝トーナメントの場合)するか、時間内にポイントが多い選手が勝者となる。

一瞬で勝負が決するフェンシングでは、試合中にさまざまな選択を迫られることになるが、その最たるものが14対14で並んだ際の「1本勝負」の状況だろう。1点取ったほうが、そのセットを取得することになり、試合を極めて優位に進めることができる。

「1本勝負になったときには、まずはそれまでの28点を振り返ってみるんです。そして、自分の方向性を決めたら、“それを正確にやることだけを考える”という意識で臨んでいます。もちろん試合に勝ちたいんですけど、その思いが先行しすぎてしまうと、焦ってしまったり、動作が大きくなってしまうこともあります。

相手が何をしてくるかは、そのときになってみないとわからないので、まずは自分でコントロールできるものに全力を尽くす。もし、その試合で結果が出なくても、自分に足りない部分を知り、新たな技の“引き出し”を生み出すチャンスだと思って、前向きに捉えるようにしているんです。自分を信じ、目の前の結果を受け入れる気持ちの強さを徐々に磨き上げていきたいですね

▲ジェローム氏の指導によってステージが上がった江村選手 Photos : EXDREAMSPORTS / Augusto Bizzi

チェスのような繊細な戦術の駆け引きに注目

北京五輪で太田雄貴氏(現国際フェンシング連盟理事・IOC委員)が、男子フルーレで銀メダルを獲得した2008年以降、フェンシングは徐々に注目を集め、東京五輪では男子エペ団体決勝で「エペジーン」の4選手が金メダルを獲得。

日本国内での注目も高まり、種目別の強化も進められてきた。中央大学卒業後の2021年3月以降、フェンシングでは初のプロ選手として活動を続けてきた江村選手も、太田氏のメダル獲得以降、日本におけるフェンシングへの印象はガラッと変わったような印象を感じていると話してくれた。

「私が小さい頃は“フェンシングって何?”と言われることも多かったですが、最近は競技そのものだけではなく、3種目あることを知ってくださっている方も増えてきて、日本人選手が国際試合で勝てるようになってきた。まだまだマイナーなところもあるかもしれませんが、少しづつ盛り上がってきていると感じています。

フェンシングは、“スポーツ界のチェス”と呼ばれるくらい頭を使うスポーツで、ダイナミックでスピーディーな動きの裏には、選手同士の繊細な戦術の駆け引きがあるんです。私のやっているサーブルは、試合展開の速さと迫力のある“斬り”動きが特徴で、見ていて面白さを感じていただけると思います。

でも、見るだけではなく、実際にプレーしてみる楽しさもある競技だと思うので、相手や目の前の状況に合わせて技を繰り出していく感覚とか、正解がなくて奥が深いフェンシングの世界を、多くの人に体感してほしいですね」

2022年5月に行われたフェンシングのワールドカップ(チュニジア)で、日本女子としては初優勝を果たすと、その2か月後に行われたフェンシング・世界選手権も制覇。2023年の世界選手権も制した江村選手は、日本人選手としては初の連覇も成し遂げた。今夏のパリ五輪でのメダル獲得にも期待が高まるが、周囲の盛り上がり対しても「私はまだまだ挑戦しなければいけない立場」と冷静に向き合っている。

「毎年、フェンシングの大会でフランスを訪れていますが、他国よりも演出に力が入っていて、素晴らしい雰囲気で試合をさせてもらえるんです。2010年にはオリンピックの会場となるグラン・パレで世界選手権が行われたんですけど、当時の大会に参加した人が、“今まで一番すごい大会だった”と話されていたので、オリンピック本番はどんな雰囲気になるのか今から楽しみにしています。

「パリオリンピックに出場する以上は、“絶対に金メダルを取りたい”という強い気持ちがありますが、そのためには私自身がどれだけ自分のことを信じられるか。どれだけ覚悟を決めて試合に臨み、それを楽しめるかが大切だと思っています。まずは目の前のプレーにとにかく集中して、良い結果を手繰り寄せていけたらと思います」

約半年後に迫ったパリ五輪。東京五輪での悔しさをバネに、さまざまな覚悟とともに成長してきた江村選手の勇姿に注目したい。

(取材:白鳥 純一)


プロフィール
 
江村 美咲(えむら・みさき)
1998年11月20日生まれ。フェンシング日本代表選手であった両親の影響を受けて、自身もフェンシングを始める。中央大学を卒業後、プロ選手への転向を表明。2021年東京五輪では団体5位入賞。2022年7月には、世界選手権女子サーブル個人で日本女子フェンシング史上初となる金メダルを獲得。2023年7月の世界選手権でも金メダルを獲得し、日本フェンシング界初の大会2連覇を成し遂げた。パリ五輪での活躍が期待される。Instagram:@emura_misaki、X(旧Twitter):@11misaki20