現在も目に見えぬ侵略の危機にある日本

最近、小・中学生用に漫画で描かれた歴史の教材を読む機会があったのですが、島原の乱は「厳しい年貢の取り立てで苦しんだ領民たちが、キリスト教を心の支えに立ち上がったものの、無慈悲な幕府軍に鎮圧された悲劇」という描き方がされていました。島原の乱はそんなに単純なものではありません。

天草四郎の首をポルトガル商館前に晒すのは、今日の観点からはもちろん残虐な所業に思えますが、当時の日本人は世界覇権国家・ポルトガルを真正面から威嚇する胆力を持っていたことに着目すべきです。どんなに侮辱され、浸透工作を受け、土地を買い荒らされても何もできない、今の日本人とは大違いだということです。

それにしても、当時も危ういものがありました。秀吉も家康も交易を重視するあまり、キリスト教の危険性を甘く見ていたところがありました。この、経済を重視して安全保障を軽視する傾向は、今の日本人のほうがはるかに顕著だと言えるでしょう。

敗戦後、日本人は自衛のための戦争すら忘れて、経済活動のみに専念して生きればいいといいう「吉田ドクトリン」を信じてきました。その結果、安全保障に対する意識が極めて低いものになってしまいました。

しかし、独立国であるのなら、国対国の関係で防衛におけるフリーライドは絶対に存在しません。「私を守るために、あなたが命を懸けてください」という話は成立しないのです。

▲現在も目に見えぬ侵略の危機にある日本 イメージ:Hick / PIXTA

当時のキリスト教の布教は、今でいえば、サイレント・インベージョン(目に見えぬ侵略)だと言えます。

キリシタン大名の売国ぶりは凄まじいものがありました。強力な兵器の供給を受けてライバルに勝つことを最優先し、宣教師の利益誘導に乗せられた挙句、領民を強制的に入信させ、神社仏閣を破壊し、僧侶や神官を殺害し、あろうことか領内の日本人を奴隷として売り飛ばしました。

秀吉と徳川三代がもし愚かで、対応がもう少し遅れたり甘かったとすれば、九州はポルトガルやスペインに支配されてしまっていたかもしれません。