“ペーパーパペットの子”としてSNSで話題を呼んだPEPAKO。紙人形作家「わす」のもとには、その高いものづくりスキルとイラスト技術から、多数の企業からオファーが届いている。独立して5年が経ち、X(旧Twitter)のフォロワーも38万人を超えるなど活躍の幅を広げているわすさんに、PEPAKO制作へのこだわりや、好きなことを続けていく楽しさをインタビューで聞いた。
ものづくりへの情熱を加速させた高校時代の部活
まるで生きているかのような動きをするのが魅力のPEPAKOは、どのようにして作られたのだろうか。イラストデザインや動きを含め、PEPAKOのすべてを一人で開発した、わすさんの幼少期に興味が湧いた。
「小さな頃から絵を描くのが好きで、虫の図鑑を模写したり、家の近所でカブトムシを捕まえて遊んだりもしてました。友達からも絵を見せるたびに褒められていたので、それがうれしくて描いていたのをよく覚えています。ものづくりも大好きで、竹とんぼとか竹刀を自分で作って遊んでいました(笑)。小学生の頃から自分で棚も作っていましたし、周りの子よりも手を動かすのが好きだったと思います」
予想通り幼少期から手先が器用だったようだが、高校時代の部活動についてはさらに面白いエピソードが聞けた。
「ものづくりが好きなこともあって、工業高校に入学したんです。そこでは、名前のない部活に入っていました。説明をするなら、電気の配線技術を競う大会に出るための部活なのですが、本当に名前がなかったんです。部活動一覧にもなくて、ある日突然、勧誘を受けて入部が決定しました(笑)。
その部活は意外にも体育会系で、毎日のように怒られてました。1~2年生の頃は先輩のサポートに徹しており、ようやく3年生になってから大会の出場権を獲得できたんです。どうやら工業高校ではメジャーな部活動だったらしく、全国からライバルたちが集まっているのが印象的でした。毎日のように練習を続けたおかげか、その年の大会では全国優勝しました」
電気の配線技術を競う、という大会。イメージができない取材陣に、部屋のなかを動き回りながら、この壁の中にも配線が埋まってるんですけど、それをキレイにつなげて……と説明してくれたが、文字では説明が難しいので割愛させていただく。そして、わすの人生をさらに追った。
「全国優勝をしたことをきっかけに、電工系の企業から入社のスカウトを受けました。でも、やりきった感がすごくて断ってしまったんです。結局、高校卒業後は製鉄所で電気系統の保守をする会社に入りました。
それからしばらくして、会社が統合した影響もあって、現場監督の業務を担当することになり、自分で手を動かす仕事ができなくなってしまったんです……。施工者への指示や現場調整が主な仕事で、ときには年上の人を指導したりしなくてはならず、板挟みのような立ち位置で自分には向いていないと思いました」
PEPAKOの反響とともに変わっていく人生
好きだった仕事がストレスの原因となり、悩む日々が続いた。そんなわすさんを救ったのが、仕事が終わってからの“好きなことをする時間”だった。
「SNSでPEPAKOが評価され、独立を考えるようになりました。会社員として働きながらも、X(当時はTwitter)にイラストを描いてはアップする日々を送ってました。そこで発表したPEPAKOが予想を越えた反響で、“今まで見たことがない珍しい技術”“バーチャルの世界の動きをリアルで表現している”などと多くの声をもらえたんです」
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PEPAKOは2018年に話題となり、独立したのは2019年だ。
「PEPAKOをきっかけに有償の制作依頼が来て、だんだんと案件が増えてきたこともあり、独立する決意を固めました。会社には“辞めてどうするんだ!”と怒られましたが、PEPAKOを作っているときの楽しさが勝り、フリーランス人生をスタートさせました。独立の準備に1年かけていたので、退職してからすぐに仕事がたくさんあったのは、経済的にも精神的にも助かりました」
独立のきっかけとなったPEPAKOは、どのようにして思いついたのだろうか。
「初めはイラストを切り取って、風景のなかに置いて写真を撮っていたんです。続けているうちに、このイラストが動いたら面白いのでは? そう思ったのがPEPAKOの原点ですね。ただ動けばいいのではなく、どうせなら人間みたいな動きをさせたいと思い、人形を振ったら関節に合わせて体が揺れるイメージで制作を開始しました。
試行錯誤をする過程で、イラストの裏側に付けた針金を自分で操作し、紙人形のように動かす方法を思いつきました。関節の部分については研究を重ねて、作っては動かしてを繰り返して、ひたすら調整してプロトタイプまでたどり着いたので、すごく愛着がありますね」
PEPAKOは、シンプルな構造でありながら、複雑な動きができるのが斬新だ。しかも、設計図などには起さずに、頭の中で考えて手を動かして作り上げていった。どのようなこだわりをもってPEPAKOを作っているのかについて聞くと、こう語ってくれた。
「動きをつけても、1枚のイラストに見えることにはこだわっていました。具体的には、動きを制御する裏側の針金の存在感を消し、あやつり人形のような感覚にさせない仕組みづくりをしています。また、関節の曲がり具合や瞼の閉じ方など、人間や動物のリアルな動きと同じにすることを意識しました」
PEPAKO構想から正式発表まで、約3年かかったと語る。ものづくり全体において、大切にしている考え方があるという。
「PEPAKOの制作を始めたときから、1回きりの作品は作らないと決めていました。二度と生み出せないその場かぎりの作品ではなく、絶対に量産できるものを作ると決めていたんです。今では多くの種類があるPEPAKOも、紙・針金・テープの3種類だけあれば全て作れるようにしています。
PEPAKOの作り方はパターン化して、シンプルさ意識しています。言ってしまえば、100円ショップで買えるもので作れます。自分だけが作れるものではなく、誰にでも作れるようにする。作品というよりも、製品といったほうが近いかもしれません、パーツがすでに完成品なんです」