市川優月の人生を大きく変えた友人の助言

「幼稚園のころから、アイドルになるのが夢でした!」

この連載がスタートしてから、これでメンバーへの個別インタビューは3人目。ここまで登場してくれた愛来も小島はなも「もともとアイドル志望ではなかった」というところから話がはじまったが、3人目の市川優月になり、ようやくアイドルに憧れてきた女の子の物語が……このあたりのバラバラな感じもまたアメフラっシの個性につながってきている。

市川優月は2003年生まれ。つまり幼稚園のころとなると、2008年ぐらいの話。まさにももクロが結成された年であり、世の中はまさにアイドル黄金時代の真っ只中。小さな女の子がアイドルに憧れるのは、ある意味、当たり前の時代だった。

「別にどのアイドルが好きとか、推しメンがいるとかいうことではなかったんですよ。子どもだったから、曲がいいとかもわからない。ただただアイドルってお客さんを笑顔にしてくれる存在だなって思って、あぁ、私もそういう存在になりたい!って。

 ただ、どうすればアイドルになれるのかってわからないじゃないですか? 最初は子役の事務所みたいなところに入ったんですけど、すぐに『あっ、ここは私がやりたいことができる場所じゃない』って気づいて辞めちゃいました」

そんなとき、友人の助言が彼女の人生を大きく変えた。

「その友達はももクロさんとか、“みにちあ”(☆ベアーズ)が大好きで、私にも映像を見せてくれたりしていたんですけど、その流れで『今度、スターダストプロモーションのオーディションがあるよ。ゆづも受けてみればいいじゃん!』って薦められたんですよ。それで受けてみたら、合格しちゃったって感じですね」

愛来も小島はなも「アイドルになること」への不思議な感覚を語ってくれたが、もともとアイドル志望だった市川優月には、そんな心配はなかった……と思っていたら、実はいきなりの大苦戦が待っていた。