おはようございますこんにちはこんばんは、番組プロデューサーのTPこと高橋です。「TPコーポレーション東京X」という変な名前の会社の社長をやらせてもらっています。
僕は2年ほど両親と絶縁状態にありました。それがひょんなことから仲直りし、先日かなり久しぶりに「父親と母親合同での誕生日祝い」ということで、食事に行きました。ちょっと前の関係からは信じられないイベントでした。今日はその「絶縁からの仲直り」の顛末を書きたいと思います。
じゃあTPが親に電話すればいいじゃん
2022年、テレビ朝日を退社して独立した僕は、時間にも心にも余裕がなかったせいか、とある出来事をきっかけに親と絶縁状態となった。客観的に見ても僕に非はなく、絶縁当初はかなりムカついていたので「一生絶縁じゃ!」と思っていたのだが、時間が経つにつれて「このまま死なれてもモヤモヤするなぁ、でも絶縁じゃ!」くらいの精神状態になっていた。
まぁもう仲直りしてもいいし、仲直りしたほうが子守とかのお願いもできるし、とか思って態度を軟化させつつあったのだが、いまいち復縁のタイミングを見失っていた。良くも悪くも大人になってからの親子関係というのは、絶縁してようが特段生活に影響がない。
絶縁から丸2年ほど経った2024年5月、弊社で運営しているYouTubeチャンネル「ランジャタイのぽんぽこちゃんねる」の収録が行われた。このチャンネルは、お笑いコンビ「ランジャタイ(国崎和也=国ちゃん、伊藤幸司=伊藤ちゃんの2人組)」が好きなことを好き勝手にやるチャンネルで、台本も特になく、その場の流れで毎回やることを決めていた。「AIと漫才しよう」とか「暗闇でコーラとファンタを見分けよう」など、何の一貫性もなく収録するのが恒例だった。
その日は「国ちゃんが実のお母さんにイタズラ電話をかける」というくだりを何回もやっていた。これは国崎家ではよくあるノリで、一種のコミュニケーションだから心配無用だそう。親子の形はそれぞれ、絶縁する親子もいれば、イタ電で笑い合う親子もいる、絶対後者のほうが異常だけど。
そのノリの延長で国ちゃんが「伊藤も親に連絡すればいい」と言ったのだが、なんとその日に限って伊藤ちゃんがスマホを家に忘れてきたというのだ。この時代によくスマホを家に忘れてこられるもんだ。伊藤ちゃんが電話NGとなり、矛先が番組プロデューサーの自分に向いた。
「じゃあTPが親に電話すればいいじゃん」
僕は正直かなりヤバいと思った。だって絶縁してるんだもの。電話はおろか会話すら2年間まともにしていない。とてもじゃないけど電話なんかできる関係じゃないのだが、番組プロデューサーとして、ここで電話をかけないで終わるというのは全然面白くないと思ったし、ここで僕が親に電話したら「神回」確定じゃないかと思った。
「ガチで絶縁中なんです」
僕は正直に打ち明けると、2人は嬉々として「じゃあ仲直りしなきゃ!」と言ってきた。2人がただ「お笑いの道具」として面白がって仲直りさせようとしたのか、「良い人」が出て仲直りさせようとしたのかいまだにわからない。
ランジャタイが出してくれた助け舟
僕は腹をくくった。個人の気持ちを封印して、番組プロデューサーとして「これは電話したほうが面白い」と自分に演出をかけて親に電話をかけた。
発信音が鳴る。
息子としての自分は「出ないでくれ!」と思っていたし、番組プロデューサーとしての自分は「絶対に出てくれ!」と思っていた。
「もしもし!?」
かなり驚いた口調の母親が出た。そりゃそう、だって絶縁中の息子からいきなり電話がかかってきたんだもの。最悪で最高の瞬間だった。あとは僕が勇気を出して仲直りすれば神回が確定する。息子の自分と番組プロデューサーの自分が心の中で天使と悪魔のようにせめぎ合い、番組プロデューサーとしての自分に、息子の自分が飲み込まれていくのがわかった。
その結果、無事に仲直りをした。ランジャタイの悪ノリによって「生んでくれてありがとう」まで言った。最悪で最高な展開だった。
今思い返してみると、親と仲直りするきっかけを探していた僕は、ランジャタイが出してくれた助け舟に無理やり乗せられたフリをしていた。まさに渡りに船、流されてよかった。流された結果、親と仲直りできたし、いい動画も撮れた。動画を観てもらったらわかるように、本当にその場のノリで電話をして仲直りしているので。
〇【感動】絶縁中の番組スタッフと母親の仲直りを手伝う【ランジャタイ】
電話の最後に母親が「こどもの日のいいプレゼントになりました」と言っていた。そう言われて初めて、ランジャタイも僕も収録日がこどもの日だったことを知った。息子としての自分は「やかましいわ」と思ったけど、番組プロデューサーとしての自分は「最高のオチができた」と嬉しかった。僕にとって最高で最高の企画になった。
ランジャタイは基本的にずっとふざけているけど、こういうときだけ真人間になるのがズルい。もしかしたら「こういうときだけ真人間になるお笑い」なのかもしれないが、それでも僕(と親)はだいぶ救われた。