『浅草キッド』や『タイガー&ドラゴン』の舞台に

その後、1階で営業していたフランス座は2階へ移転。1階には演劇場「東洋館」がオープンします。現在でも残る「東洋館」の名称はここで誕生したのですが、やがて運営会社がストリップから完全に手を引くと共に、東洋館とフランス座が併合する形で「浅草フランス座演芸場東洋館」に合名。上階で新規一転、再開業しました。

そして、この時に公演を牽引したのが伝説の浅草芸人でありビートたけしの師匠でもある深見千三郎だったのです。

深見千三郎とビートたけしによる「浅草フランス座演芸場東洋館」を舞台にした話はNetflixオリジナルドラマ「浅草キッド」として2021年に大ブレイク。作中では2階に上がるエレベーターのなか、深見千三郎役の大泉洋さんがタップダンスの練習をするシーンが印象的でしたね。

一方、現在は1階部分でドンと構える都内最大の寄席「浅草演芸ホール」は、もとはこの建物の4階と5階で開業したものでした。前述の東洋館が上階に移る際に、空いた1階に滑り込む形で移転します。こちらは1959年の開業以来一度も改名していませんが、このように同じ屋号で上に行ったり下に行ったり合名したりと忙しいので、この建物の呼び名が世代によって違うわけです。

なお、現在の1階部分である演芸ホールも「浅草キッド」に負けず劣らず有名な映像作品に頻出しています。

そう、2005年の宮藤官九郎のドラマ『タイガー&ドラゴン』の舞台ですね。TOKIOの長瀬智也さん演じる元ヤクザの噺家「林家亭小虎」が「タイガータイガーじれっタイガー!」でサゲをキメるシーンで大爆笑した方もきっとおられると思いますが、そう、イニエスタが来たのはあの場所の10メートル横です(笑)。

浅草という場所の特殊性を一新に背負ったような「フランス座」「東洋館」「演芸ホール」と呼ばれる建物の、ほんの10メートル横にあるパチンコホール「アミューズ浅草」の店先で、冒頭の世界的サッカー選手たちがにこやかに手を振る。

浅草の歴史を紐解いてもまさに「珍事」と言っていい事件ですが、実はお隣だけではなく、彼らが手を振るその場所自体も、歴史を紐解くとなかなか凄いところなのです。

▲歴史を紐解くとすごい場所にあると分かる「アミューズ浅草」

巨大劇場「富士館」の跡地にある「アミューズ浅草」

「アミューズ浅草」は2024年春にオープンしたばかり。運営会社の「株式会社アミューズ」は関西の法人で、都内進出のための旗艦店として選んだのがこの場所でした。

建物自体は新規に建てたものではなく、浅草で古くから営業していた「パンドラ浅草」というパチンコ屋さんを居抜き購入したものですが、この場所はもとからパチンコ屋さんだったわけではありません。

もとは戦前から続く、歴史ある映画館でした。

実は浅草は、太平洋戦争中の空襲で完膚なきまでに焼き尽くされる前は東洋随一の歓楽街であり、特にロックストリート近辺には当時の文化・娯楽の中心であった映画館が無数にありました。

そして、その中でも特に有名だったのがのちにアミューズ浅草となる巨大劇場「富士館」でした。

「富士館」は日本の劇場運営法人で初めての株式会社化を成し遂げたことでも有名ですが、のちにあの日活との関係を深め直営化された事でも知られています。日活の直営店舗は映画ブームの時代にすら都内に2店舗のみ。そのうち一つが浅草にあったのです。

その映画館はやがて家庭用テレビの普及によって閉館してしまいますが、跡地にはキャバレーが入り、やがて1999年には「パンドラ浅草店」としてパチンコホール化、そして2024年には「アミューズ浅草店」となるわけです。

つまりその場所は「元ストリップ劇場が演芸ホール化した建物の横にあった、日活直営の映画館の跡地」であり、まさしく「浅草」の要素をギュッと濃縮還元したような、非常に「濃い」歴史を持っているのが分かります。

▲観光名所となっている「雷門」のほかにも浅草は見どころがたくさん!

そう考えると、この場所にイニエスタ氏、ロベルト・カルロス氏、ファビオ・カンナヴァーロ氏、そしてシャビ・エルナンデス氏の姿があるのは何とも言えない光景であり、「非日常」を体現したような風情がありますね。もちろん、本人たちはそんな事など知る由もないのですが。

みなさんも次の週末、歴史を調べつつロックストリートをぐるりと巡ると、なにかハッとするような新しい発見があるかもしれません。