ナチスの宣伝上手が発揮されたベルリン大会

アドルフ・ヒトラーのナチス政権下で行われたベルリン大会は、見事な運営で聖火リレーや記録映画など、いろいろな意味においても画期的な大会で、戦後のオリンピックにおいても模範とされるものだった。

第11回 ベルリン(ドイツ/1936年)……古代オリンピックの発祥地ギリシャ・オリンピアで、聖火を採火した「聖火リレー」が実施された。

▲ギリシャのオリンピア イメージ:PIXTA

アメリカの黒人であるジェシー・オーエンスが、短距離と走り幅跳びで4冠を達成した。マラソンでは日本代表で朝鮮系の孫基禎(そんきてい)が金メダルを獲得し、戦後の韓国で民族的英雄となった。

女子平泳ぎで前畑秀子(まえはたひでこ)が、ドイツのゲネンゲルの追い込みを抑え制覇。ラジオ中継での河西三省(かさいさんせい)アナウンサーの「前畑頑張れ」の連呼の実況が話題となった。

サッカーでは優勝候補だったスウェーデンを破りベスト8に進出した。棒高跳びで西田修平(にしだしゅうへい)と大江季雄(おおえすえお)の日本勢が、銀と銅メダルを獲得したが、メダルを半分ずつに割って「友情のメダル」とした。

女流映画監督のレニ・リーフェンシュタールによる記録映画である『民族の祭典』は、スポーツ映画の記念碑的な名作といわれる。

第12回(1940年)……皇紀2600年に合わせて東京での開催が予定されていたが、戦争の激化のために辞退せざるをえなくなった。代替のヘルシンキ開催が予定されたが、これも取りやめとなった。

第13回(1944年)……ロンドンでの開催が予定されたが中止された。

第14回 ロンドン(英国/1948年)……日本とドイツの参加は認められなかった。そこで日本では、同時刻に水泳競技を実施し、1500m自由形で古橋廣之進(ふるはしひろのしん)が記録したタイムは、金メダルのアメリカ選手より41.5秒も速かった。オランダ女子のフランシナ・ブランカース=クンが100m、200m、80m障害、400mリレーの4種目で金メダルを取った。

第15回 ヘルシンキ(フィンランド/1952年)……日本の参加も認められた。人間機関車といわれたチェコスロバキアのエミール・ザトペックが、5000mと10000mそしてマラソンで金メダルを獲得した。ソ連がオリンピック初参加した。

※本記事は、八幡和郎:著『365日でわかる世界史』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。