中国より日本に残る東洋の伝統木造建築
万里の長城の時代以来、中国の土木建築技術は高水準だった。ただ、戦乱の歴史と木造が主だったので残っているものは少なく、日本のほうにすぐれたものが多い。
現存する万里の長城の大部分は明代の建造で、全長2万1100㎞あまりの世界最大の城壁である。その石垣は外敵の侵略を防ぐこと以外に、通信と行商人の往来保護のために築かれた。北京の紫禁城は中国、明、清朝の皇帝の宮殿であった。世界でも完璧に残っている最大規模の木造建築群である。
頤和園(いわえん)は北京郊外にあって、万寿山(まんじゅさん)とその南に広がる昆明湖(こんめいこ)にかけて広がる広大な離宮である。揚州など江南地方の風向を再現したものとされる。
北京市街の南東に位置する天壇は、15世紀に建築されその後、増改築が行われた。明、清両王朝の皇帝が天地の神を祀り豊作を祈った場所で、歴代皇帝の位牌を安置している。漢民族、満州民族、モンゴル族のスタイルが融合した建築様式である。
龍門石窟とともに中国三大石窟のひとつで、いにしえより東西の貿易の中継地であり、宗教や文化が融合する合流地だった敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)は、「千仏洞」とも呼ばれる仏像の石窟で、大小492の石窟に彩色塑像と壁画が保存される。
標高3000m超の高地にあるチベットの首都ラサ。そこにそびえるチベットの聖地が、ポタラ宮で7世紀につくられた。ポタラ宮は、歴代のダライ・ラマの居住地であり墓碑が眠る宮殿で、宗教的に重要かつ圧倒的な存在感で人々を魅了している。
日本の奈良周辺には、中国の唐の時代の影響を受けたかなりの数の仏教建築が残る。そのなかでも、薬師寺東塔は「凍れる音楽」といわれる軽妙で洗練されたものだ。
平安時代には寝殿造りといわれる住宅建築が流行し、室町時代には書院造りに移行したが、金閣寺舎利殿はその両方の特徴を備える。軒裏まで金箔が張り巡らされ、室町幕府3代将軍・足利義満が建てた。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて多くの城が築かれたが、これらは高い石垣、広い堀で防御され天守閣などの櫓(やぐら)が多いのが特徴だ。姫路城は、白鷺(しらさぎ)が羽を優雅に広げたような白く美しい姿から、白鷺城の愛称で親しまれている。
日本の住宅建築は、書院造りからさらに数寄屋造りなどへ発展し、自然を再現したような庭園と組み合わされていった。桂離宮は、江戸時代の初期に皇族の別荘として建てられた。
※本記事は、八幡和郎:著『365日でわかる世界史』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。