インド文化とイスラム文化

インドでは仏教が一時栄えたがヒンドゥー教にとって代わられ、イスラム勢力の王朝の支配下にあることも多かった。メソポタミアではローマ帝国が撤退したのちサーサーン朝ペルシアが栄えたが、7世紀にイスラム帝国に征服され、シリア、エジプト、マグレブ諸国、スペインも支配下になった。オスマン帝国は東ローマ帝国も征服した。

インドの美術は多雨地帯ならではの旺盛な生命力を感じさせるとともに、神秘的なものが好まれる。最初の統一王朝であるマウリヤ朝の文化はペルシアやヘレニズムの文明の影響も受けて成立した。

マウリヤ朝を代表する美術品は『アショーカの獅子柱頭(ししちゅうとう)』(紀元前3世紀/サールナート考古博物館)である。1世紀になるとギリシャの影響のもとで仏像がつくられるようになる。

ガンダーラのものとしては『弥勒菩薩』(ギメ美術館)や『釈迦苦行像』(ラホール博物館)があり、グプタ朝の『転法輪印釈迦座像』(5世紀/サールナート考古博物館)が著名だ。

▲ラホール博物館の外観 イメージ:PIXTA

6世紀の仏教美術後期にあたる時期には『アジャンター石窟寺院壁画』が描かれており、この時期の仏教絵画としては中国や日本も含めて最高傑作である。同じ時期にはヒンドゥー教の石窟寺院も多く『エローラ石窟寺院』の彫刻などがある。もう少しあとの時代では『舞踏のシヴァ像』(10世紀/マドラス博物館)が著名だ。

イスラムの美術は偶像崇拝の禁止から幾何学模様や植物などが主になり、建築の一部を成すので美術品として取り上げにくい。美術館でも建物の一部であるタイルが展示されていたりする。ペルシア絨毯のすばらしさはいうまでもないが、これもよく似たデザインで現在に至るまで生産されているので、美術品として捉えにくい。

そうしたなかでルーヴル美術館におけるイスラム美術の最高の名品とされるのが『聖ルイ王の洗礼盤』(14世紀シリア)でフランス王家の洗礼盤として使用されていた。陶器では16世紀にオスマン帝国で焼かれた『孔雀の大皿』、細密画では17世紀にウズベキスタンのブハラで製作された『読書する人』という豪華書籍の一部などが目玉だとされている。

イスラムの画家としては、1500年前後にアフガニスタン・ヘラートでティムール朝に仕え、のちにタブリーズのサファヴィー朝に移ったビフザードという画家が最高とされ『果樹園』(エジプト国立図書館)などの作品がある。

モスクの内部はタイルで飾られているが、イスファハン(イラン・サファヴィー朝の首都)のイマーム・モスクやイスタンブールのブルー・モスク、シャーチェラーグ廟(イランのシーラーズ)、グリーンモスク(トルコのブルサ)、レギスタン広場(ウズベキスタンのサマルカンド)などの内部の美しさは知られている。

▲レギスタン広場 イメージ:PIXTA

※本記事は、八幡和郎:著『365日でわかる世界史』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。