商業化を決定づけた1984年ロサンゼルス大会

モントリオールオリンピックは、石油危機が勃発したこともあって莫大な赤字を出して地元を長く苦しめた。モスクワ大会はアフガン戦争を理由に日米などがボイコット。しかしロサンゼルス大会では、商業化オリンピックが成功して公的資金をいっさい使わなかった。

第20回・ミュンヘン(ドイツ/1972年)……選手村でイスラエル選手団が人質となり、救出作戦の失敗で選手に9人の死者が出た。水泳のマーク・スピッツ(アメリカ)が7個の金メダルを獲得した。バスケットボール決勝では、アメリカがソ連に終了間際に逆転され、判定に異を唱えて表彰式をボイコット。日本の男子バレーが金メダルを獲得した。

体操では加藤澤男(かとうさわお)が個人総合で優勝。鉄棒の塚原光男(つかはらみつお)の「月面宙返り」が話題に。競泳で田口信教(たぐちのぶたか)と青木(あおき)まゆみが金メダル。

第21回・モントリオール(カナダ/1976年)……アフリカの22カ国が、ニュージーランドと南アフリカのラグビーでの交流をめぐってボイコット。ルーマニアのナディア・コマネチが史上初の10点満点を連発。

アメリカが不振で、金メダル数ではソ連に次いで東ドイツが2位になり、競泳のコルネリア・エンダーが3種目で金。体操ではソ連のニコライ・アンドリアノフが、個人総合と種目別3種目で優勝。

IOCのトーマス・バッハ現会長が、フェンシングで優勝した西ドイツのメンバーだった。日本は女子バレー、男子体操団体で金メダル。開催国カナダは金メダルなしに終わったが、これは夏季では他にない。

第22回・モスクワ(ソ連/1980年)……アフガン戦争で日本などがボイコット。柔道の山下泰裕(やましたやすひろ)、マラソンの瀬古利彦(せことしひこ)がメダル候補だった。男子体操のディチャーチンがメダル8個を獲得。

女子カヤックでは東ドイツのビルギット・フィッシャーは、この大会から12個のメダル。キューバのテオフィロ・ステベンソンがボクシングヘビー級で3連覇。

第23回・ロサンゼルス(アメリカ/1984年)……カール・ルイスが100m、走り幅跳びなど4種目で金。女子体操ではメアリー・ルー・レットンが女子体操個人総合で金。中国が参加し金メダル獲得数で4位になった。体操の具志堅幸司(ぐしけんこうじ)、柔道の山下泰裕や斉藤仁(さいとうひとし)、ライフル射撃の蒲池猛夫(かまちたけお)が金メダルを獲得した。

第24回・ソウル(韓国/1988年)……北朝鮮が大韓航空機爆破事件を起こした。テニスと卓球が競技に加えられた。陸上のフローレンス・グリフィス=ジョイナー(アメリカ)、棒高跳びのセルゲイ・ブブカなどが活躍した。

背泳ぎの鈴木大地(すずきだいち)が金メダルを獲得した。開会式の聖火台でハトが焼け死んだのではないかと話題になった。ボクシング決勝で韓国選手が金メダルを取ったが、審判を買収していたことが発覚。

※本記事は、八幡和郎:著『365日でわかる世界史』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。