社会人としてのレベルは「語彙力」で測られる現実がある。稚拙な表現や、思慮の浅そうな表現をしたり、自分の中にある語彙の量が不足していれば、社会人としてのレベルを低く見積もられてしまうだろう。「できる人が物事を理解するために押さえている語彙」「知性と教養を感じさせる語彙」のひとつ、数年前政治をめぐる報道で一躍有名になったあの言葉を紹介しよう。
※本記事は、山口謠司:著『語彙力がないまま社会人になった人へ』(ワニブックス刊)より、一部を抜粋編集したものです。
「じゅんど」という読み方もあった
仕事をしていれば、よく「忖度する」という言葉を耳にします。
モリカケ問題のニュース以前は、学生に忖度という言葉を見せて、「この字の読み方は?」と聞くと、八割以上が「すんど」と答えていましたが、もちろん間違いです。今は「そんたく」と読むのが正しいということになっています。
「正しいということになっている」というのはどういうことかと言うと、室町から江戸時代にかけては「じゅんど」と読むのが正しいとされてきたからです。しかし、明治時代を過ぎた頃から、「そんたく」と読むのが正しくなりました。
言葉は聞いてわからなければ役には立ちません。
「昔はこんなふうに言うのが正しかった」といくら主張しても、相手がわかってくれなければ意味がありませんので、教養として「じゅんど」という読み方もあったのだと知っておく程度でいいでしょう。
ちなみに、我が国には、漢字の読み方が四種類あります。そのうちの基本となる「呉音」と「漢音」の二つについて説明しておきましょう。
たとえば、「文」という漢字には「もん」という読み方と「ぶん」という読み方があります。
「ぶんぶかがくしょう」「じゅぶん」「ぶんじ」と読んだり、「もんがく」「もんしょう」「もんか」「もんげい」と読んでしまえば、何を言っているのかがわからなくなってしまいます。
これは、同じ漢字でも「呉音」と「漢音」という読み方の区別があるからです。
書き文字がなかった我が国
我が国には、古く書き文字がありませんでした。そこへ漢字が入ってきて、文書や書籍が書かれるようになるわけですが、794年に平安時代が始まるくらいまでは、漢字の読み方は主に「呉音」と呼ばれるものが使われていました。
これは、中国の上海、南京周辺の呉の地方で使われていた漢字の発音によるものです。上海周辺は、揚子江の下流で、紀元前の昔から文化が発達していました。ここから船を浮かべると、対馬海流に乗り、朝鮮半島や九州まで辿り着くと言われます。
呉の地方で使われていた「呉音」の語彙が、日本に入ってきたのは自然なことだったのです。「忖度」を「じゅんど」と読むのは、まさにこの「呉音」の読み方です。
ところで、我が国の平安時代の文化が遣唐使という「唐王朝」との交易によって発達したことは、あなたもご存じのことだと思います。唐王朝の都は、現在の陝西(せいせい)省西安市、当時の名前では「長安」という所でした。この長安がある地方は、古くから「漢」と呼ばれた所でした。
長安には、シルクロードを経て、インドやチベット、遠くは今のトルコやアフガニスタン辺りからも人々が訪れ、まさに今のパリやロンドン、ニューヨーク、東京のような文化の中心地となっていたのです。
ここで使われていたのが「漢音」という漢字の発音です。「文」という漢字は、呉音では「もん」と発音されますが、漢音では「ぶん」と発音されました。「忖度」が、「そんたく」と発音されるのは「漢音」によるものです。