28年遅れて始まった冬季オリンピック

冬のオリンピックの可能性が語られたきっかけは、1908年の第4回ロンドン大会で、屋内リンクでのフィギュアスケートが実施されたことである。さらに1920年の第7回アントワープ大会でアイスホッケーも実施されていた。ただ当時、事実上の「世界選手権」だったホルメンコーレンスキー大会を主催していたノルウェーなどの反対が支障だった。

冬季オリンピックは、1924年にシャモニー・モンブランで第1回が開かれた。「第8回オリンピアードの一部としてIOCが最高後援者となり、フランス・オリンピック委員会がフランス冬季競技連盟とフランス・アルペンクラブとの共同で、シャモニー・モンブラン地方で開催する冬季スポーツ大会」というややこしいものだったが、大会は成功したので、翌年プラハで開催されたIOC総会で、この大会が第1回冬季オリンピックとして追認された。

その後、1992年の第16回アルベールビル大会(フランス)までは、夏季オリンピックと同年に開催されていた。しかし1994年の第17回リレハンメル大会(ノルウェー)以降は、夏季オリンピック開催年の中間の年に開催されている。

主な競技は、スキー(アルペン、ノルディック、それに最近ではスノーボード)やスケート、ボブスレーやリュージュなどソリを使うもの、カーリングなどである。

▲スケート イメージ:PIXTA

日本の参加は、1928年の第2回サンモリッツ大会(スイス)に、スキーのノルディック種目の6人が参加した。初めてのメダル獲得は、第7回の1956年コルチナ・ダンペッツォ大会(イタリア)での、アルペンスキー男子回転で猪谷千春(いがやちはる)が獲得した銀メダルだ。この大会ではトニー・ザイラーがアルペン3冠を達成。

第10回(1968年/フランス・グルノーブル)……地元のジャン=クロード・キリー(フランス)がアルペンスキーで3冠を達成。フィギュアのフレミングが人気。記録映画『白い恋人たち』とそのテーマミュージックが大ヒットして冬季オリンピックへの関心が高まった。

第11回(1972年/日本)……アジア初の冬季大会だった。オランダのアルト・シェンクがスピードスケートで金3個。オーストリアのカール・シュランツがアマチュア規定違反で出場できず。笠谷幸生(かさやゆきお)らがスキージャンプ70m級でメダルを独占した。

▲スキージャンプ イメージ:PIXTA

第13回(1980年/アメリカ・レークプラシッド)……エリック・ハイデン(アメリカ)がスピードスケートで5冠を達成。フィギュアで渡部絵美(わたなべえみ)が入賞。

第14回(1984年/サラエボ〈当時はユーゴスラビア〉)……北沢欣浩(きたざわよしひろ)がスピードスケートで銀メダル。スピードスケート女子種目では東ドイツが全種目を制覇した。

※本記事は、八幡和郎:著『365日でわかる世界史』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。