乗馬に向いた服装として生まれた洋服

人類は2万年以上前から、毛皮を切ったり、草を編んだり、さらに麻から繊維を取りだして初歩的な織物をつくったりして、原始的な衣服をまとっていたようだ。現存する最古のものは、アルプス山中で氷づけになって発見された「アイスマン」が身につけていた毛皮の上着やコートに帽子、草で編んだマント、そして革の靴である。

古代人の衣服は腰布、ローマのトガやインドのサリーにつながる「巻き衣(ドレーパリー)形式」、南米のポンチョのような布の真ん中に頭を出す穴を開けた「チュニック形式」、日本の呉服のように前開きの衣服の左右を打ち合わせる「前開(カフタン)形式」などがあったが、騎馬服から始まったといわれるズボンと細い袖のついた上着の現代の洋服に通じる「体形衣形式」へ発展していった。

▲乗馬の衣装 イメージ:PIXTA

繊維の利用は麻から始まり、紀元前4000年あたりに毛織物が、紀元前3000年ごろには綿織物も織られるようになった。絹織物は紀元前2500年あたりから中国で生産されていたが、6世紀には東ローマ帝国でも生産できるようになり、染色や柄織物の技術も進歩して華麗な服飾文化が生まれた。

しかし、ヨーロッパに上着・ズボン・マントという組み合わせの服装を普及させたのはゲルマン人である。女性は腰を細く見せるようなっていった。フランス革命のころ、男性の長いズボンが庶民の象徴とされ、半ズボンをはかないことを意味するサン・キュロットは市民階級の代名詞になった。

一方、19世紀後半から女性が活動的になり始め、第一次世界大戦で銃後の活動に女性が進出したことから、スカートが短くなった。そしてパンタロンをはくことも多くなった。戦後の変化では、既製服の生産が本格化し、1960年からはプレタポルテという形で一流のデザイナーたちも、この分野で活躍するようになった。

中国では、伝統的には和服(呉服)のような合わせ襟形の上着に、和服の袴のようなスカートをはくことが一般的であったが、北方民族の支配のもとで丸首や詰め襟、短い袖のチャイナドレスへ移行した。

中東では、ゆったりして長い上着とパンタロン、そして頭から被り物をするのが基本である。パンタロンの足首が縛ってあるのは砂塵(さじん)や虫への対策でもある。女性は頭からヒジャブという布をかぶり、チャードルで全身を覆うこともある。

▲ヒジャブ イメージ:PIXTA

南アジアではバティックのような、ろうけつ染めの上着に女性は腰巻き式のスカート、男性はゆったりしたズボンである。ベトナムのアオザイは、チャイナドレスの変形で細身で深いスリットが特徴だ。

※本記事は、八幡和郎:著『365日でわかる世界史』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。