新型コロナウイルスの影響により、今年の“甲子園”は「2020年 甲子園高校野球交流試合」として特異な形式で開催された。出場した32校の球児たちは、どんな思いを胸に試合へと臨んだのだろう。8月21日に今季初めてベンチ入り選手として登録されたマリナーズ・平野佳寿選手が、自らの高校球児時代を語ってくれました。
※本記事は、平野佳寿:著『地味を笑うな』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
「軟式あがり」は体力づくりと雑用の日々
高校は鳥羽高校に進学しました。
志望していた高校に入れたのだから、最高にうれしかったのですが、問題がないわけではありません。とにかくレベルが高かったのです。
甲子園を狙う高校なのですから、当たり前といえばそうなのですが、初日にすぐ実感できるほど練習は厳しかったですし、なによりも同じスタートラインに立っているはずの同級生が、入学した時点ですでに1周先を走っているような状況だったのです。
それは、僕が「軟式あがり」だったから。
小さいころから甲子園やプロ野球を目指してきたような同級生たちは、リトルシニアやボーイズリーグで硬式野球をたっぷり経験してきています。
そんな同級生たちは、もう1年生の早い段階から先輩に交ざってバリバリ練習していますし、結果を残せば試合にも帯同させてもらっていました。
しかし、軟式しか経験のなかった僕が、その輪に入れてもらうことはありませんでした。最初から「無理はするなよ」と言われ、トレーニングメニューでも硬球でプレーできるようになるための体力づくりが優先されました。
毎日、練習には参加しているのですが、まったく投げさせてもらえない。ランニングなどの基礎トレーニングのほかにやることといえば、ボール拾いなどの雑用を黙々とこなすこと。そんな日々が続いたのです。
ひとつ上の先輩には、のちに大阪近鉄バファローズ(当時)に捕手として入団する近澤昌志さんがいました。近澤さんのバッティングやスローイングを見たら、もう「すげぇ……」と、あまりのレベルの高さに絶句するしかありません。
聞けば、近澤さんは1年のときから試合に出ていたといいます。やっぱり活躍するには1年のうちから出ているような選手でないとダメなのか――と思いましたね。