つらい時こそ自分を俯瞰して見てみる

自分の周回遅れ以外にもうひとつ、大きな問題がありました。それは甲子園を目指す公立高校は、いろいろとハンデを抱えているということ。

私立の強豪校は、とにかく練習量が半端ではありません。当然のごとくグラウンドにはナイター設備が整っていて、夜8時ぐらいまでガンガン練習に励んでいます。

一方で、鳥羽高校には「夕方5時半に練習終了」という縛りがありました。定時制も併設していたので、定時制の授業がはじまったら、グラウンドを空けなくてはいけません。だから、広々とグラウンドを使った練習を、5時半には完全撤収する必要があったのです。

授業が終わるのがだいたい3時半ぐらいですから、バッティング練習やノックに費やせるのは正味2時間弱。そのあともグラウンドの端っこで素振りをしたり、通路の脇で筋肉トレーニングをしたりと、できることはやっていましたが、私立と比べれば、圧倒的に練習時間が足りない。おそらく半分以下の時間しかできていなかったと思います。

これではとても太刀打ちできないので、別の枠を設けて練習する必要があります。それは朝しかありません。毎朝7時から授業がはじまるまで、みっちりと練習をやりました。さらに1年生はグラウンドを整備して、7時に先輩たちを迎え入れなくてはいけないので、遅くとも朝6時半には入らなくてはいけません。

これを読んでいる方は「甲子園を目指すなら、それぐらいは普通だろう」と思われたかもしれませんが、遠距離通学だった僕の場合は、その時間に到着しようと思えば、5時の電車に乗らないと間に合わいません。

いまだに、この1年間が僕の野球人生の中で、もっともつらくてキツい時期だったと思います。しかし、ここで絶対に負けられないと自分を奮い立たせることができたのは、母の存在があったからです。

母は、鳥羽高校で甲子園を目指すという僕の夢を後押しするために、毎朝弁当を作って送り出してくれました。僕が起きるより早く、毎朝4時ごろには起きて、弁当を作らなくてはならない。体がキツかったのは僕よりも母のほうだったかもしれません。

どんなにつらくても、弱音を吐かず、ギリギリのところでやってこられたのは、文句も言わずに大変な思いをして支えてくれた母がいたからです。

親が子に愛情を注ぐのは当たり前だという感覚の人は多いでしょう。中学・高校時代の僕にも、そういうところはありました。

義務としてやらなければならない「修行中」の1年生時代。イライラしたりムカムカしたりすることも多いのに、睡眠時間も確保できないから、つらさが増幅して心を痛めつける。ですが、そんなときに、自分だけではなく一緒につらい思いをしながら自分を支えてくれている人の存在に気づけば、心はおだやかになります。

もっとがんばれる。もっと戦える。

厳しい状況にいると、どうしてもつらいことに意識が集中してしまうものです。ネガティブな感情にとらわれ、攻撃的になったり、自暴自棄になってしまったり、他人や自分を信用できなくなってしまいます。そうなってしまうと地道な努力を継続するのが難しくなってしまうのです。

だから、つらいときこそ狭い世界で迷路に入り込まないようにしたいですね。ドローンで上空に舞い上がって、高い所から自分の姿を眺めるようにしたいものです。

そこには、自分のことを見守ってくれている人がいるかもしれません。自分と一緒につらい時間を過ごしてくれている人がいるかもしれないのです。

▲つらい時こそ自分を俯瞰して見てみる イメージ:PIXTA

幸いにして、遠距離通学のおかげで僕は高校1年生のときに、それに気づくことができました。苦しいときには自分の周囲を俯瞰で眺める習慣ができたのです。

それは、自分の夢のために一緒に苦労をして応援してくれた母のおかげであり、感謝の気持ちしかありません。