親父のおかげで『パチンコタレント』へと成長!

その日、親父と二人でパチンコを打って、勝ったか負けたか、というところまでは記憶にありません。ですが、この後も、何度かは親父と打ちに行った記憶があります。第9回のコラムで書いた「最初に行ったガラガラな店」にも行きましたね。

そこでは、現金の時短デジパチを打ったんですよ。たしか『レモン牌』(平和)だったと思うんですけどね。麻雀物語シリーズの流れを組む台です。この台、現金機ではありますが「大当りの1/4の確率で、次回まで時短」がつく、というスペックで、僕はたぶんその1/4を通して、大当りを引くことに成功しています(なんか、やたらチューリップが開くようになったなあ、としか思っていませんでしたが)。

レモン牌のプレー動画[nobnob731さんのYouTubeより]

ですがそこは「ガラガラな店」。電チューのためのスルーがキツかったんでしょうね。次回の大当りを引く前に、出玉がなくなってしまいました(笑)。今考えると笑って済まされる話ではないですけど、そのころから「ダメな店」というのは、今と大差ないようです。

親父も言ってたなあ。「あれは本当はもっと電チューが開いて、玉が減らないまま次の当たりまで行けるはずなのに、店がクソだから」って。クソみたいな店選んだの、親父なんですけどね。

……僕は聞いてみました。

「なんでそんなクソみたいな店を選んだんよ」って。

親父は答えました。

「静かでいい」

ですって!!

ああ、今なら何となくわかる。今でこそ僕は完全なるパチンコおじさんと化していますが、普段から収支メインのガチガチの立ち回りというよりは、パチンコをのんびりエンジョイしたいタイプ。プライベートだとそんなに大きなお店、混んでいるお店には行きません。どちらかというと、こじんまりした中小店だけど頑張っているようなお店のほうが好きなタイプです。こんなところで親の血を引いているのかと思うと、なんだか複雑ですね。

ちなみに、父親も母親も、今の『パチンコタレント』という仕事に理解を示してくれています。先日、久しぶりに実家に帰ったら『おう、天膳様』って言われちゃって面食らいましたよ。動画、けっこう観てくれてるみたいです。あの頃の親父は、僕がこんな仕事をしているとは、夢にも思わないでしょうね。僕だってそうだもん。でも、あの日があったから?かどうかは分かりませんが、ヨースケは立派に成長しましたよ。

ありがとう!

『1億2000万分の1の激アツ人生』は次回7/12(日)更新予定です、お楽しみに。