化学・物理・地学といった理科が苦手。とくに元素記号は見るだけでも……なんて方もいるだろうか。しかし元素は受験教科や授業だけのものではない。地球上のあらゆる物質、わたしたち人間さえも元素からできている。そして元素は、その物質の性質だけでなく過去を解き明かす鍵にもなる。
※本記事は、中井泉:著『元素は語る』(ワニブックス刊)より一部を抜粋編集したものです。
「西アジアのガラス」は交流が盛んであった証拠
古代の西アジアで多く作られたソーダ石灰ガラスの原料のひとつ、石英(シリカ)の原子構造はどうなっているのでしょう。
ずばり石英は、4つの酸素が1つのケイ素をとり囲んだ「SiO4四面体」と呼ばれる原子団が、網の目のように規則的につながっています。ここにアルカリを加えることで網目が分断され、不規則で乱雑な構造になったものがガラスなのです。
いろいろな金属元素を添加すると、その網目の隙間に入り込んで、特定の色の光を吸収します。それによってガラスに色を付けられる、というわけです。
3〜6世紀にササン朝ペルシャが、イラン高原を中心に勢力を広げていた頃、ローマ帝国から分裂した東ローマ帝国は、東地中海沿岸地域を治めていました。
政治的に対立していた両国ですが、文化や技術の交流は行われており、とくにペルシャでつくられたササン・ガラスは、地中海沿岸でつくられていたローマ・ガラスの影響を強く受けています。実際、よく似た特徴を持ったガラス器が両地域から出土しています。
このような歴史的背景から、いわゆる「西アジアのガラス」のなかには、ローマ・ガラスなのかササン・ガラスなのかわからないものが多数まじっています。
作られた場所と加工された場所が違っていた
ところが、見た目で製造地を判断できないガラスでも、化学分析を行えば製造地が推定できます。
たとえば、ローマガラスはナトロンをアルカリ原料に使っていますが、ササンガラスは伝統的に植物灰を使うという違いがあります。植物灰はマグネシウムとカリウムが多く含まれますが、ナトロンはどちらもほとんど含みません。
したがって、ガラスを分析して酸化マグネシウムと酸化カリウムの両方を多く含んでいれば、植物灰ガラスですからササン・ガラスと推定できます。逆に、どちらも少なければナトロンをアルカリ原料に使うローマガラスで、1.5%がその境界といわれています。
このように、両者は見た目には差がなくても、化学分析、すなわち物質史をひもとけば、実際にどちらなのかもすぐに推定できてしまうわけです。
なお、マグネシウムが植物に多いのは、クロロフィル(葉緑素)の主成分のためです。中世・北ヨーロッパのバルトガラスは、高ライムのカリ石灰ガラスで、森林の木材の灰を使っています。ガラスを作る炉の燃料の灰が、ガラスの原料にもなるので、効率のよさも特徴的です。
円形切子や浮出切子など、ガラスを研磨して立体的な装飾を施す切子技術は、ササン朝ペルシャで盛んに行われ、ササン・ガラスの特徴と考えられてきました。
ところが、楕円切子括碗(3世紀/シリア)を化学分析してみると、見た目はササン・ガラスなのに、ローマ・ガラスの化学組成を持っていると判明しました。
それはローマでつくられた無地のガラス器を、ペルシャの人たちが輸入し、あとからササン・ガラス風に加工したものだと考えられています。つまり、ガラス自体の作られた場所と加工された場所が違っているのです。
このように、これまでの常識からは思いもよらないガラスの歴史が、古代ガラスに隠されていることが、物質史を解き明かすことでわかってきました。元素が古代の謎を解く鍵となっていることがわかるでしょう。