父親が認知症、母親が重い病気になった。父は一人で外出して迷子になり、警察のご厄介になったという。母は、そんな父の面倒を見てきたが、今すぐ入院しなければいけない病状だという。田舎で二人暮らしだった父と母。こんなとき、子どもはどうするべきなのか。競馬ライター田端到さんが自身の介護体験を振り返る。
始まりは、母からの1本の電話
始まりは、母からの1本の電話だった。
「忙しいときに悪いねえ。ちょっと相談したいことがあるんだけど、いいかね」
18歳で親元を離れて一人暮らしすること、約30年。母から昼間に電話がかかってくることは珍しい。おそらく、いい話ではないのだろうとすぐに察知した。
「おとうちゃんの調子があまり良くなくてね……。このあいだも飲み会の後、自分の家が分からなくなって、大騒ぎになってしまって……」
ああ、やっぱり父のことか。
父は数年前から認知症の症状が出ているらしく、専門の医者にも診てもらったと聞いている。特に酒が入ってしまうと症状が悪化するようで、とうとう外出先から帰宅できないという事態を引き起こしたらしい。それも「パトカーのご厄介になった」と聞いては、穏やかではない。
ところが、母の話を聞いていると、どうも要領を得ない。
「なんか具合が悪くてさ……。肺炎だって言われてね……。でも、お父ちゃんがこんなだしねえ……」
時々、ゴホゴホと咳き込みながら、話が違う方向へ進む。
え、どういうこと? 誰の話をしてるの? 主語がないから、よく分からない。ゆっくり、くわしく聞いて、やっと事態がつかめた。
母は、このところ咳が止まらず、病院へ行ったら、肺炎と診断された。それも、かなり重い肺炎のようで、すぐに入院するように言われたという。しかし、認知症の父を家に置いたまま、自分が入院するわけにはいかない。だから、どうしたらいいのだろうと、東京で離れて暮らす息子に相談してきたのだ。
いつもと違う時間帯の電話は、自分自身の病気が発覚した母からのSOSの電話だった。何事においても家族を優先し、自分のことを二の次にする母は、こんな緊急時ですら一番大事な報告を後回しにしてしまう。
「すぐ入院って医者に言われたんだろ。じゃあ、入院しなきゃダメじゃん」
「でも、おとうちゃんがいるからねえ」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ!」
とりあえず、ぼくがやるべきことは今すぐ実家に帰ることだ。3~4年に一度しか親に顔を見せない不義理のバカ息子でも、その程度はできる。こんな時くらいは、昼間からゴロゴロしているフリーライターの特権を活かさなくてはならない。
取り急ぎ、当座のお金だけ銀行からおろして、実家へ向かう新幹線に駆け込んだ。いったい何年ぶりの帰郷だろうかと思い出そうとしたが、記憶をうまく手繰れない。
そのくらい久しぶりに乗る、新潟行きの上越新幹線だった。
陽射しの強い7月の上旬。背中を這う汗が、じっとりとTシャツに染み付き、不快な夏の始まりを予感させた。