翌週の土曜の午後。主人公のひなたは、“謎のおじさん”改め“亀仙人”こと亀廣聡医師の心療内科クリニック「ボーボット・メディカル・クリニック」を訪ねることにしました。

駅で出会ったあの日から、メンタル不調の人たちの症状をインターネットで調べて、自分の不調との一致に「これは、一度診てもらったほうがいいかも」という気持ちになっていたひなたは、迷いながらも思い切ってドアを叩くことにしたのです。

ここまで来たら、う~ん、もう行くしかないか

亀仙人と出会った小さな駅から、3駅ほど北へ進んだ大きな駅に心療内科はありました。駅のホームからエスカレーターを降りて自動改札を出ると、そこは大きな駅ビルの2階です。

真正面には百貨店が口を広げて待ちかまえています。新作のファッションが展示されている華やかなウィンドウに、少し前ならなんとなく吸い込まれていたのですが、ここ最近は何の魅力も感じません。

(中央改札を出て左……)

私はこころの中でつぶやきながら、左に向かって歩きました。いくつかある駅前ビルの中で、最も古そうなビルの4階のフロアを歩きながら「やっぱ、やめておこうかな」という気持ちが頭をもたげます。

クリニックの入り口に立つと、その気持ちはさらに大きくなっています。

(やっぱり、心療内科って入りにくい。それに単なる気のせいかもしれないし……。いや、でも、たしかにどう見てもメンタル不調の症状なんだよな……。ここまで来たら、う~ん、もう行くしかないか)

ためらいながらも、私は意を決してクリニックのドアを開けました。

▲ここまで来たら、う~ん、もう行くしかないか

思ったよりも軽く開いたドアの向こうに、静かな異世界が広がっていました。

入ってすぐの右側に、白い受付のカウンターがあります。女性が1人、おだやかなトーンで対応してくれました。左側には待合室が広々と広がっていて、1人用の座イスが壁を背に向かい合わせで10脚ほど並んでいます。

「このイス、おっしゃれ~」

私の口から思わず小さな声がこぼれます。スチールパイプを使ったデザイン性の高いイスで、座ってみると座り心地は満点です。

女性シンガーの歌うジャズがスピーカーから静かに流れています。その音を邪魔するわけでもなく、時折、患者を診察室へと促す静かな声が響きます。無言で腰かけている人が1人ずつ診察室へと消えていきます。

しばらくして、私の名前が呼ばれました。私は静かに診察室の扉を開きました。