プロレスファンは今でも私の人生を応援してくれる

松永 ただ自分からアドバイスしたケースはあります。コンバット豊田選手〔1996年に引退〕が焼き肉屋を開業(2013年)するというときには、私の失敗してきた経験から、いろいろとアドバイスしましたね。こうしたほうがいいよ、というよりも「これをしたらダメだよ」という感じで

――コンバット豊田さんは、兵庫県尼崎市で焼き肉とホルモンの店『いこら』を経営しています。彼女は、まさに松永さんと同じ時代にFMWでファイトしていて、世界で初めて女子プロレスラーで電流爆破デスマッチを敢行して、話題を呼びました。どんなアドバイスをされたんですか?

松永 とにかく「サイレントオープン」しなさい、と。私の場合、オープンのときに近所の団地に大量のチラシを配ったら、初日からたくさんのお客さんが詰めかけて、もうパニックになってしまった。そんな状態になって、満足のいくサービスが提供できなかったら、その日のお客さんはリピーターにはなってくれない。だから「最初は焦らず、大々的に宣伝しないで、ひっそりとスタートしたほうがいいよ」と。あと「可能であれば、開店祝いのお花は断りなさい」とも言いましたね。

――えっ、それはなんでですか?

松永 気持ちはもちろん有難いのですが、本当に扱いに困るんですよ。店の前に出す花輪だったら、まだいいんですが、困るのは店の中に置く小さい花。狭い店だと、まず置くところがないじゃないですか? だからといって捨てるわけにもいかないし、花屋さんに引き取ってもらうとしても、場合によってはお金がかかってしまう。だから知人や友人に開店の報告をするときには「お祝いの花は固辞します」ということを強く伝えたほうがいい

――なるほど!

松永 だから私は、お祝いにお金を贈ったんですよ。さすがにコンバット豊田もびっくりしたみたいで、すぐに連絡がきたんですけど「花より団子って言うだろ? そういうことだよ。花をもらって困ることはあっても、お金はいくらもらったって困る人はいないんだから」と言いました。

――いやぁ、いい話ですねぇ~。コンバット豊田さんの店は、地元で愛される人気店になって、関西のメディアではよく取り上げられているそうです。

松永 ただ、今は肉、特に牛肉を扱う店は、昔のように儲からない状況になっているんですよ。変な話、誰の目から見ても「繁盛店だな」というぐらいにならないと、経営は厳しいんですよね。同業者として、そこはすごく気になるし、彼女とは年齢も近いし、現役時代から体の悪い部分も知っているので、いろいろと心配にはなります。とにかく頑張ってほしいですね。

▲ハンバーグも『ミスターデンジャー』を繁盛店に導いた人気商品だ

――ちょっとほっこりしました。あの時代のプロレスを知る者にとって、こういうエピソードはグッとくると思います。

松永 私はもう「元プロレスラー」ですけど、プロレスファンの方たちは、引退したあとの人生もずっと追ってくれているんですよね。コロナ騒動のときも、全国のプロレスファンのみなさんが、お店のことをすごく心配してくださったんですよ。だから私は「引退してもみっともない姿を見せることができないな」と思いますし、これからもしっかりと「ミスターデンジャー」の厨房に立ち続けたいですね、できるだけ長く。


<店舗情報>
■ステーキハウス『ミスターデンジャー』
立花本店
住所:東京都墨田区立花3-2-12 田中ビル1F
TEL:03-3614-8929
営業時間:PM5:00~PM10:00(ラストオーダーPM9:30)
定休日:水曜日
※暫くの間、営業時間が変動いたします。詳しくはホームページ(https://www.mrdanger.jp/)をご覧下さい。

プロフィール
 
松永 光弘(まつなが みつひろ)
1966年3月24日生まれ。愛知県知多郡武豊町出身。高校時代は相撲でインターハイに出場後、誠心会館などで空手を学び、士道館杯にて全日本3位の実績を残す。 その後、FMWの旗揚げに誠心会館所属として参戦。同団体の旗揚げ日である1989年10月6日にデビューを果たすと、同年12月のFMW後楽園ホール大会で、日本初の『有刺鉄線デスマッチ』を行う。1992年からはW★INGに参戦すると、後楽園ホールの2階バルコニーから伝説のダイブを敢行。“ミスター・デンジャー”の異名を欲しいままにし、プロレス界での地位を確立した。その後も各団体で激闘を繰り広げる一方、ステーキハウスで厳しい修業を積み、1997年に『ステーキハウス ミスターデンジャー 立花本店』をオープン。2009年12月23日に引退試合を行いリングに別れを告げると、ステーキ店の経営に専念。以降、さまざまな苦難に直面するが、デスマッチで磨き上げた創意・工夫で、都内でも屈指の人気店へと成長させた。