なぜ「ひこにゃん」の兜は赤いのか?

これは前著『ブームをつくる/人がみずから動く仕組み』(集英社新書)でも述べたことですが、わたしは200万というのを日本国内におけるPR効果の臨界点と考えています。

200万という数字を超えれば、PRのプラン自体が生命を得たように、連鎖的に人が動いていくようになる。「ひこにゃん」が契機となって日本全国でゆるキャラ・ブームが起こったことも、その一例と言えます。

しかし、ゆるキャラ・ブームにばかり世間の注目が集まり、わたしが「ひこにゃん」に仕掛けた郷土史目線のPR戦略に気づいてもらえていないとしたら、少し残念です。

「ひこにゃん」のホーム、琵琶湖の東に位置する彦根市はというと、ここはやはり国宝・彦根城を中心とした武士の街です。ですから「ひこにゃん」は猫でありながらも立派なサムライなのです。

「ひこにゃん」は兜をかぶっているので、サムライであることは知られているでしょう。また、その兜が赤である理由が、彦根城の城主だった井伊家の「赤備え」に由来していることもご存知の方がいるかもしれません。

▲なぜ「ひこにゃん」の兜は赤いのか? 出典:ウィキメディア・コモンズ

三毛猫ではなく白猫である必然

では「ひこにゃん」は、なぜ白猫なのか? 

これは彦根の郷土史を詳しく調べないと、わからないはずです。

彦根藩の第二代藩主・井伊直孝(1590~1659年)が、鷹狩りに出た帰途のこと。ある粗末な寺の前を通ると、一匹の白猫が直孝を手招きしていました。そして、誘われるままに直孝が寺のなかに入るのを待っていたかのように、にわか雨がやってきたのです。白猫が雨から救ってくれた。そうとしか思えませんでした。その後、この寺(豪徳寺)は直孝の寄進によって見違えるように立派になり、井伊家の菩提寺となったのです。

だから「ひこにゃん」は白猫なのです。こういったディテールまで詰めておくことは、郷土史の視点でPRを展開する際には決して手抜きが許されない重大事です。もし「ひこにゃん」が三毛猫だったら、成功したはずのPRも失敗に終わっていた可能性があるのです。