親中派と中国側は選挙結果を予想していなかった?

興味深いのは、デモに参加して逮捕された経験を持つ候補者26人中、21人が当選したことと、香港警察や中国公安に強いコネと利権を持つ「警察の顔」ともいえる現職の何君堯が落選したことです。

何君堯は警察官僚家庭に生まれ、現職の立法会議員でもあり、香港警察と香港マフィア、そして中国公安との癒着がささやかれる大物政治家です。何君堯は選挙運動中、民主派の暴漢にナイフで刺される事件にあい、同情票を買うかと思われたのですが、そんな予想は完璧に裏切られました。おそらく、ほとんどの有権者がその事件自体が自作自演の演出だと見透かしていたのでしょう。

「前科あり」のデモ参加者候補の多くが当選し、警察の代理人の何君堯が落選した結果は、香港市民がいかに香港警察に不信感を募らせているのかを示したともいえます。

選挙翌日、香港親中派紙・大公報は「反体制派が選挙の公平性を破壊した」「外国勢力が干渉した」「陰謀のせいだ」と、この選挙結果が民意でないと懸命に言い訳していました。中国紙は、新華社の「社会の動揺が選挙のプロセスを妨害した」といった短い論評を転載するにとどまりました。

中国外交部の定例記者会見で報道官は、選挙結果についての受け止めの感想を聞かれても「中国政府は、国家主権・安全・発展利益を守る決心を変えることなく、“一国二制度”の方針を変えず、いかなる外部勢力の干渉にも反対する」などと香港デモに関する定型文の答えを繰り返すのみでした。

この親中派と中国側の硬直した反応を見るに、相当な衝撃を受けていることがうかがえます。

ここで奇妙に思えるのは、中国サイドや香港政府側が区議選挙を延期・中止しなかったことでした。すでに緊急法が施行されており、大学での戦闘の激化を理由に林鄭長官の判断で、選挙を中止するタイミングはあったにもかかわらず。

中国の立場からいえば、選挙を中止して、大学で“暴れた若者たち”を「テロリスト」として粛清した方が、香港問題を一気に片付けられたはずです。

でも、選挙による民意で、市民の6割が警察の暴力を批判しているということを示してしまった以上は、今後、大規模デモを許可しなかったり、催涙弾で強制排除したりするやり方は、どんな理由をあげても正当性をもたなくなってしまいます。だから、私は投票日当日まで、選挙中止を恐れたのです。

習近平の“敗因”は、情報感度の悪さと人徳のなさ?

このことについて、米外交誌フォーリン・ポリシーのシニア・エディターで、かつて中国共産党機関紙人民日報系英字紙グローバル・タイムズ(環球時報英語版)の外国籍編集者を勤めたこともあるジェームズ・パーマーが、非常に興味深いコラムを書いていました。

内容を一言で言うと「習近平政権が、この区議選挙結果をまったく予想しておらず、建制派・親中派の圧勝を信じて疑わなかった」というのです。中国中央英字紙・チャイナ・デイリーなどの記者らから聞いた情報として、中国紙は親中派圧勝の予定稿しか用意しておらず「何君堯が何票伸ばした」といった、見当はずれの予定稿もあったとか。

このことから、パーマーは「中国共産党の上層部が、香港について自分たちが発信したプロパガンダを信じ込んでいる」と推測していました。これはパーマー自身が中国の対外プロパガンダメディアともいうべきグローバル・タイムズ紙に7年間もいて、中国の大外宣(大対外宣伝政策)を熟知していたからこその指摘でしょう。

投票日のチャイナ・デイリー紙は親中派の勝利を予想した原稿が掲載され、高い投票率は「香港の混乱が、これ以上続かないようにという願いの表れ」と報じていたのは、プロパガンダの方便はなく、本気でチャイナ・デイリー上層部が信じて記事にしていた、というわけです。

パーマーの推測が非常に説得力を感じるのは、習近平政権が失脚させた周永康につながる人脈ほか、江沢民派や曾慶紅派の政敵や官僚、軍部に対する激しい粛清を見てきたからです。

権力の座を得てからの習近平は、反腐敗キャンペーンを名目に、空前の党内粛清を行ってきました。この結果、習近平が不機嫌になるような情報を上げる官僚は激減していました。これは習近平に対する官僚たちの消極的な反抗ともいえますし、あるいは習近平が機嫌を悪くすることを言うと粛清されかねない、という恐怖から何も言えなくなったともいえます。

古今東西、独裁者の周辺にはイエスマンしか集まらない。その結果、正しい情報が上がらなくなり、香港情勢に対する判断を間違ってしまった可能性は、十分に想像できるのです。

さらに言えば、周永康派・江沢民派・曾慶紅派の人脈は、公安・武装警察・国家安全部・金融機関・駐香港中央連絡弁公室(中聯弁)などに集中しています。つまり中国の治安維持とインテリジェンス部門は、香港に集中しているのです。

習近平は何度も、公安・国家安全部・軍部・中聯弁の幹部を入れ替えてきたので、すでにいずれの機関も、習近平人脈に代わっているという見方もあります。ですが、私はそう単純ではないと思うのです。

公安やインテリジェンス分野、軍部の末端は危険な任務に就くだけに、上下の縦の関係に深い信頼が求められています。上層の幹部の入れ替えを繰り返しても、末端はそう簡単に昔の上司への忠誠心を失わないものです。そう考えると、香港の情報は、わざと習近平の判断を惑わせる、あるいは間違った判断を導くように操作されていた可能性も考えられわけです。

あるいは、香港が中国インテリジェンスの最前線であるというのならば、習近平に反感を持つ「中国の情報工作員」たちが、習近平に不利になるように動いた可能性もあるかもしれません。

中国側は、香港問題の悪化は外国の敵対勢力の工作(CIAの工作)のせいだとする陰謀論を繰り返し言ってきましたが、実のところ習近平自身の情報感度の悪さと、人徳のなさが招いた「習近平の大敗北」なのかもしれません。

6月の香港デモの予想を上回る早い展開や、中国公安の支援を受けているとみられる香港警察の過激化も、面従腹背の中国公安や国家安全部幹部が、習近平を窮地に追い込むためにあげた情報操作が関係している可能性もあります。

実際、早い段階で中国側が適切に対応していれば、香港問題はもっと素早く沈静化できたでしょう。胡錦涛政権は2003年春のSARS蔓延のパニックにも、7月の国家安全条例反対の50万人デモにも対応し、早期の鎮静化に成功しています。

香港問題だけでなく今、中国が直面している米中問題・経済問題・オーストラリアのスパイ発覚問題など、すべて江沢民政権や胡錦涛政権時代は何とかうまくやっていたテーマで、これらが相次いで失敗したのは共産党体制の金属疲労もあるでしょうが、やはり習近平政権の政策ミスであり、末端の官僚たちのサボタージュや、そこはかとない反抗心のせいではないかと思うのです。

そう考えると、米国発の華字オンラインニュース博聞が12月1日に報じた「習近平が、外交・国家安全・対外宣伝部門のハイレベルに対して全面改組を指示した」という情報にも信憑性が出てきます。

博聞によれば「習近平は、いわゆる“応急管理”を強調」し、特にインテリジェンス(諜報・情報工作機関)は重大改組に直面しているといいます。「在外のインテリジェンス機関の人員は忠誠を示し、いつでも火の中に飛び込む覚悟が問われ、それが出世の重要基準となるだろう」とも。

月末の政治局会議で政治局常務委員7人が、最近の内憂外患(米中問題・香港問題・オーストラリアのスパイ発覚・2020年の台湾選挙と米国選挙)に対する重大失策を徹底検討したと言われており、その結果を受けての習近平の指示だとしたら、習近平は失策の原因が自分にあると責められたのを、インテリジェンス機関の人間の忠誠の足りなさ(あるいは裏切り)に転嫁したのではないでしょうか。

習近平にしてみれば、直面する内憂外患は、党内身内の悪意による“人災”というわけです。