国際社会そして香港市民の支持を得て平和デモが復活

香港の民意が明確に示されたことを受け、米トランプ大統領は米議会が可決した「香港人民民主法案」に署名し、香港の一国二制度維持に関して米議会が監視し、一国二制度を損なう香港官僚や中国官僚に対しては米国入国を拒否し、その資産を凍結するなどの制裁を加えることになりました。

これは香港のデモ派、抵抗者たちをおおいに勇気づけることになり、署名翌日にはトランプへの感謝を示す集会も開かれました。国際社会を代表する米国、そして香港市民の民意を後ろ盾にして12月は週末ごとの平和デモが復活しました。

世界人権デーを前にした12月8日には、4カ月ぶりに警察の許可を得ての83万人規模の大規模デモが実施されました。途中、警官隊とデモ隊の間に不穏な空気が流れるものの、立法会議員の調整もあって最後まで誰に邪魔されることなく、デモ行進を行うことができました。

12月16日に林鄭月娥は北京に行き、習近平や李克強と面会し、香港デモ問題への対応を協議しました。このとき、習近平と李克強とも笑顔はまったくなく、大変厳しい表情でした。

もともと林鄭が、李克強に行政報告する会見場は中南海の紫光閣でしたが、人民大会堂香港庁に格下げになりました。このとき林鄭月娥に、どんな指示が与えられたかは明らかにされていません。とりあえず、林鄭が辞任を迫られることはありませんでした。

香港デモはまだ収束していませんから、引き続き林鄭に責任をもたせて、デモの平定を指示したのだと思われます。

それよりも、習近平の怒りは香港の中聯弁に向かいました。2020年1月5日、中聯弁トップの王志民の更迭が発表されました。後任は山西省の書記だった駱恵寧。王志民は北京に戻り、中央党志・文献研究院副院長に任命されたということですが、事実上の左遷に間違いありません。

▲王志民 出典:ウィキメディア・コモンズ

王志民は、2017年秋に中聯弁主任に着任したばかりでした。2019年の「反送中デモ」の展開の読みや、11月の区議選挙の親中派惨敗などの結果に対して、的確な情報分析ができず、香港世論を正確に中央に伝達できなかったこと、などの責任を問われることになったのだと見られています。

王志民は、もともと江沢民人脈の人間であり、福建省で習近平と一緒に仕事をしたことがあるとはいえ、習近平からの覚えはさほどめでたくありませんでした。

それは、新華社香港支社を前身とする中聯弁という組織が香港返還以来、そのインテリジェンス機能を武器にして、現地に対する非常な影響力をもっており、習近平といえども、なかなか使いこなせなかったという面もあります。

習近平は、中聯弁の香港における発言権を抑えるために林鄭月娥を重用した、とも言われていました。つまり中聯弁が、香港における唯一の中国代弁者として幅を利かせており、その中聯弁組織自体が、江沢民・曾慶紅系の組織であり、習近平は中聯弁弱体化を望んでいた、ということです。

香港にとって試練になるか、チャンスになるか

こうした中央政府内部の権力闘争の構図を読み取った林鄭は、王志民に対してはあからさまに軽く見た態度をとっていました。王志民は着任翌年の2018年1月に、中環(香港政府)と西環(中聯弁)は一緒に行こう、と呼び掛けましたが、林鄭は明らかに冷たい態度をとりました。

2019年3月28日、香港の大実業家・李嘉誠が寄付で建造した慈山寺のセレモニーに、王志民(共産党中央委員、無神論者)と林鄭(キリスト教徒)を招いて、二人の手を取って握手させようとしたら、林鄭が公衆の面前でそれを拒否した、という事件もありました。

林鄭が、次の予定(ボーアオフォーラムに行くための飛行機の時間を気にしていた)に気がそぞろだったから、かもしれませんが、差し出された手を無視する無礼さは、当時大きなゴシップニュースになりました。

習近平が王志民を嫌っていることを見透かした林鄭の、王志民に対する舐めた態度だ、と言う人もいました。この中聯弁に対する警戒感から、習近平はやはり林鄭を更迭するわけにはいかなかったようです。

王志民の後任の駱恵寧は、香港事務に関わったことのない香港ド素人で、英語も広東語もできない人です。鳳凰週刊によれば、人脈的には回良玉に近く、江沢民派につながるが、安徽省時代の人脈から言えば、汪洋や李克強とも比較的近い人でした。

2019年11月にすでに65歳の退職年齢に達し、同12月28日に全人代財経委員会副主任委員に任命されたばかりでした。全人代のこうした委員会は俗に言う「養老院」、つまり退職年齢になり一線を離れた人物に対する「ご苦労さん役職」です。

そんな人物に、今の困難な香港事務がうまくさばけるようには見えないのですが、習近平としては、とにかく香港に何の縁もゆかりもない人間を中聯弁のトップにつける、ということが重要であったようです。

この人事は、習近平政権としては“中聯弁切り捨て”人事、香港における中聯弁利権潰し人事、と一部では受け取られました。あるいは、習近平が信用でき、かつ香港事務が任せられる人材が、もう底を尽いていると言う人もいました。

中聯弁トップは、これまではインテリジェンス系が派遣され、その任務も情報収集と世論誘導が主でしたが、駱恵寧は青海や山西といった、いわば貧困地域の地方行政経験者で、インテリジェンス経験なし。これは今後、香港は中国の一地方扱い、という意味もあるかもしれません。

▲駱恵寧 出典:ウィキメディア・コモンズ

また山西省は、胡錦涛政権時代の大番頭役であった官僚政治家で、習近平に失脚させられた令計画の一族が絡む大汚職事件で、官僚組織がガタガタになったところ。駱恵寧は、そういう山西省政府の後始末を任された政治家でもありますので、中聯弁の香港利権にからむ汚職問題処理を任務として与えられた可能性があります。

この人事が、中国の香港への対応にどういう影響を与えるかは不明ですが、中聯弁による世論誘導機能(香港世論、国際世論とも)を諦めて、香港警察の中国公安警察化、香港警察の中共直接指示を進める方向に動くかもしれません。

ですが、そうなるとおそらく、米国が成立したばかりの「香港人権民主化法」をもとに、圧力をかけてくることになるかもしれません。

この動きは香港にとって大きな試練になるかもしれませんが、米国の姿勢次第ではチャンスになるかもしれません。

※本記事は、福島香織:著『新型コロナ、香港、台湾、世界は習近平を許さない』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。