大学戦争というべき激しい戦闘を経て、勇武派の若者たちの多くが制圧されていきました。これは、香港警察側の作戦というべきものだったでしょう。2019年11月24日に区議会選挙が予定されていたのですが、その前に、抵抗勢力を徹底的に封じ込めようと考えたのかもしれません。

ですが、その作戦の方向性自体が中国の判断ミスではなかったかと、香港デモを現場で取材してきた福島香織氏は振り返る。なぜなら、24日の区議会選挙は民主派が空前の大勝利を収めるからです。

中国への抵抗を支持し続けるかを問う選挙

私が香港入りしたのは11月22日ですが、警察に包囲された香港理工大学内には、まだ抵抗者たちが残っているとはいえ、数十人から数人に減っており、市民は久しぶりに催涙弾も勇武派デモも火炎瓶もない、穏やかな日常を満喫していました。

「大学に闘争の場を移したのは失敗だった」という評価が、デモ参加者や支持者の間でも流れていました。こうした状況から、親中派の間では「市民はやはり、デモが繰り返される日常より平穏を望んでいる」という見方が共有されていたようです。

選挙に関しては、私は民主派の圧勝を疑っていなかったのですが、デモ支持者の友人たちは「圧勝といかないかもしれない。親中派のバラマキも例年より多いし、大学闘争も敗北したし」と、いつになく気弱な発言をしていたのが印象的でした。

道行く人に「選挙ではどちらに入れるか?」と尋ねると、皆口ごもりました。また、選挙自体が午前中で終わるのではないか、中止になるのではないか、といった噂も当日の朝まで流れていました。

「中国系企業に勤めている知り合いから聞いたのだが、午前中に投票を済ますようにとの通達が上層部からあったそうだ。昼過ぎに何か事件が起きるかもしれない」と香港人の友人たちがメッセージを寄こしてきました。私は投票当日は、事件が起こるかもしれない、と緊張して、幾つかの選挙区を見回っていました。

香港の区議選挙は479議席中、452議席が直接選挙で選ばれ、香港の選挙のなかで最も民意を反映しやすい選挙です。ですが、区議の仕事自体の政治権限は狭く、議員というよりは町内会の役員を選ぶような感覚です。投票日当日に投票場近くで福袋を配って集票したり、コネを使って票を取りまとめたり、実にゆるい選挙なのです。

従来、若者はあまり投票に行かず、投票率も前回は47%程度。資金力があり、組織票を持ち、政府や立法会にコネをもつ建制派(体制派)や親中派が圧倒的に有利で、実際に前回選挙は議席の7割が親中派と建制派でした。

ただ、今回の区議選は誰を選ぶかではなく、民意を示す行動という意味の方が大きいので、海外メディアも注目していました。つまり香港人は、この若者たちの中国への抵抗を支持し続けるかどうかを投票で示せるわけです。

「願栄光帰香港(香港に再び光あれ)」の大合唱

普通に考えれば民主派が過半数をとるでしょうが、中国及び香港政府としては、そのような結果は絶対出すわけにはいかないでしょう。ですから、選挙中止の可能性は当日までありうる、と懸念していました。

林鄭月娥行政長官は、11月20日の段階でも区議選挙延期・中止の可能性を示唆していました。なので、反体制派は香港政府側に選挙中止の口実を与えないためにもデモを控え、言動も控えていたとみられます。

この慎重さのおかげで「市民はデモに疲れており、秩序の回復を願っている」といった、親中派の主張が本当のように聞こえるムードができ上がっていました。

そして投票日。各投票場は早朝から長蛇の列でした。中止されるかと心配したのが噓のように、午後も続々と有権者たちが投票場を訪れていました。午後3時の時点で前回の選挙の投票率を超えました。投票率が高いほど民主派が有利なので、夕方には民主派の圧勝が確信されていました。

午後10時半の投票締め切りまで、あっけないほど何事もなく選挙は終了。深夜に大勢が判明したときは、各選挙区で有権者が香港国歌ともいえるプロテストソング「願栄光帰香港(香港に再び光あれ)」の合唱が響いていました。

区議選の結果は452議席中、民主派が515人立候補し388議席を獲得。建制派は498人立候補し62議席獲得。あと2議席が独立派、非同盟系となりました。民主派の圧勝でした。

全得票数を比較しても294万票中167万3991票(約57%)が民主派で、建制派はあからさまなバラマキ選挙運動をやったにもかかわらず、122万999票(約42%)にとどまり、大差をつけました。

当選者のなかには、選挙運動中に暴漢に襲われて大怪我を負った、大規模デモの主催組織・民間人権陣線(民陣)の招集人、岑子杰はじめデモ参加者が数多くいました。

▲岑子杰 出典:ウィキメディア・コモンズ