断固として皇室の伝統を守り抜くのだという御決意
上皇陛下は、皇位を継承された時点で、昭和60年から始まった宮中祭祀の形骸化を阻止し、皇室の伝統を再び復活させようとされた。
昭和64年1月7日の昭和天皇の崩御に伴って、神器とともに皇位を承け継がれた陛下は、明治の御代に整備された皇室祭祀を厳修し、昭和44年に「テラスからモーニングコートで拝礼」に簡素化された四方拝(しほうはい)を、伝統に則って神嘉殿(しんかでん)南庭に戻し、5月と10月の年2回に減らされていた旬祭〔しゅんさい=毎月1日、11日、21日に掌典長(しょうてんちょう)が祭典を行い、1日には天皇が御親拝(ごしんぱい)する〕も、毎月の御親拝に復活された。
平成2年、上皇后陛下は次のような御歌を詠まれている。
神まつる昔の手ぶり守らむと旬祭にたたす君をかしこむ
これは、明治天皇の次の御製を踏まえたものだと拝察される。
わが国は神のすゑなり神祭る昔の手ぶり忘るなよゆめ
GHQによって皇室祭祀令は廃止されたが、(当時の)天皇陛下は、明治天皇のこの呼びかけに応えて国家・国民のための祈りを今もなされています――このようなメッセージを、上皇后陛下はわれわれ国民にお示しになっているように思われる。
宮中祭祀について、陛下御自身も平成21年4月、御成婚50年の記者会見で次のようにお述べになった。
(皇室の伝統について)私は昭和天皇から伝わってきたものはほとんど受け継ぎ、これを守ってきました。この中には新嘗祭のように古くから伝えられてきた伝統的な祭祀もありましたし、田植えのように昭和天皇から始められた行事もあります。新嘗祭のように古い伝統のあるものはそのままの形で残していくことが大切だと考えます。
内閣法制局が、現行憲法の政教分離条項に基づいて、宮中祭祀を形骸化しようとしてきたとしても、われわれは断固として皇室の伝統を守り抜くのだという、固い御決意がそこには伺われる。
長年、皇室記者を務めた久能靖氏もこう述べている。
天皇は歴代の天皇の中ではもっとも熱心だといわれるほど宮中祭祀を大切にしてこられ、即位されるとすぐに全皇族を集めて専門家から宮中祭祀についての講義を受けさせているほどである》
[久能靖『天皇の祈りと宮中祭祀』(勉誠出版)]
厳格に皇室の伝統を正確に受け継がれた
元宮内庁掌典の鎌田純一氏によれば、占領軍によって廃止された紀元節祭も、上皇陛下は昭和天皇の御心を受け継いで大切に守られている。
―― 天皇陛下は2月11日の日はどのようにお過ごしでしょうか。
鎌田 思し召しによる宮中三殿への臨時御拝があります。戦後GHQの圧力で紀元節祭は廃止されてしまい、紀元節祭という名称は使っていませんが、先帝(昭和天皇)は戦前の紀元節祭を受け継がれ、2月11日には臨時御拝のお祭りを欠かさずなさいました。そして今の陛下もそれを受け縦がれ、そのまま行っておられます。またその日は(神武天皇をお祀りする)橿原(かしはら)神宮に勅使(ちょくし)を遣わしておられます。
[『日本の息吹』平成八年二月号]
しかも陛下は、皇室の伝統を正確に受け継ぐために、祭儀においてどのように行動するのか、その意味はどういうことなのか、徹底的に研究し練習されているという。前述の鎌田純一氏はこう証言している。
外国ご訪問のとき、天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下の場合はご出発とご帰国のとき、必ず宮中三殿でお祭りがあり、伊勢の神宮、神武天皇陵、昭和天皇陵に御直拝あるいは御代拝なされます。他の皇族方の場合は賢所に御拝されてから行かれ、またご帰国のあとすぐに御拝なさいます。そのことは極めて厳重です。
その厳重さはお祭りにおける御所作やご研究の態度にも現れています。私自身が実際にお仕えさせて頂いて、陛下は日本のどの神主よりも御所作が厳格ですし、そのお祭りの意義或いは沿革について詳しく研究された上でお臨みであると拝見させて頂きました。ご即位後、伊勢の神宮に行かれたときにも、御所作について念を押され、ご下問になる。その厳格さに私は思わず感嘆し、きっと天照大御神様はおよろこびでいらっしゃるなあと感じました。
昭和40年代から、政府が変質していくなかで、初めて日本国憲法下で皇位を継承した陛下は、次のようなことをなされたのだ。
皇室の歴史と伝統に基づく「象徴」の解釈を打ち出された。
日本国憲法を排撃するのではなく、憲法と憲法典の違いを踏まえつつ歴史に立脚した解釈を貫くことによって、八月革命説や天皇ロボット説を乗り越えられた。
リスクを厭わず、国家国民のために尽くすことを象徴の使命と宣言され、その通りに行動された。
昭和と平成の断絶を回避し、昭和天皇の御心を承け継がれた。
昭和の時代に形骸化が始まった、宮中祭祀の伝統を復活しようとされた。
――これが、御即位に際して陛下がなされたことなのだ。すさまじい思想力である。
※本記事は、江崎道朗:著『天皇家百五十年の戦い』(ビジネス社:刊)より一部を抜粋編集したものです。