各界の第一線で活躍する、あの人の「土壇場」はいつだったのか。そして、それをどう乗り切ったのか。今回は、ダイエーホークス(当時)から始まり、WBCの日本代表、そしてメジャーリーグへ。現在は「栃木ゴールデンブレーブス」に所属し、プロ野球生活21年目となる川﨑宗則さんに話を聞いた。

踏ん張らないことが一番いい

「親父、72歳になったんです。川﨑電気工事の社長をやってたんですけど、後継ぎがいないので閉めました。『お前がクビになるのを期待してたんだけどな』って。俺もそう思っていた。まさか21年間も(プロで)野球をやってるなんてさ」

▲夢中に白球を追いかけ続け、ここまでやって来た。現在は栃木GBに所属

そう語る川﨑宗則さん(39歳)。2020年10月現在、プロ野球独立リーグ「ルートインBCリーグ」のチーム「栃木ゴールデンブレーブス」(栃木県)に所属している。18歳のとき、NPBドラフト会議でダイエーホークス(当時)から4位で指名されてプロ入り。WBCの日本代表、そしてメジャーリーグへ、2019年からは台湾プロ野球でも戦ってきた。そんな川﨑さんは、いくつもの土壇場を乗り越えてきたに違いない。そう考え、会いに行った。

意外というべきか、川﨑さんは「土壇場」という言葉に、あまりよい印象をもっていないようだ。ならば、crunch(クランチ=噛み砕く)のように「歯を食いしばり、踏ん張った経験は?」と問うと、次のような答えが返ってきた。

「踏ん張らないことが一番いいんです。踏ん張ったら壊れるからね。ビー、リラックス。『NewsCrunch』にこそ、あえて踏ん張らないっていう方向を薦めたい」

川﨑さんも「踏ん張った経験はある」という。それはもしかすると、我々の想像を超えるものかも知れない。だが「踏ん張っても、結局いいことはなかった」と振り返る。「身を任せるのが一番ですよ」。

それでもと、もう少し食いさがってみた。若いプロ野球選手や、川﨑さんのプレーに憧れている子どもたちもいる。彼らは、川﨑さんが厳しい日々を乗り越えてきたと思っている――。そう言いかけると、川﨑さんは「全然違う」と断言した。

「まず、野球選手になろうと思っていることがおかしいんです。あんなに難しいスポーツはない。世の中にはいろんなスポーツがあって、いろんな職業がある。野球選手になりたいという考え、思いはすごく認める。でも世の中、それだけではないから。そこを分かってほしい」

地元・鹿児島で、少年野球チームに入ったのを機に野球を始めた川﨑さんだが、決して「(『巨人の星』)星飛雄馬の“野球一徹”の世界じゃなかった」そうだ。

「小学校から野球を始めたけど、中学ではバスケ部にも入ったし、高校ではバンドもやった。そっちの道に進む人生もあった。ずっと甲子園を目指してきた人たちとは、違った時間を過ごしていたんです。好きなものが、いっぱいあったんですね」

鹿児島工業高校では電気工事士の資格も取り、父親が経営する会社で働く道もあると考えていた。「(プロ入りしても)2年ぐらいで、川﨑電気で働くルートはできていた。そうなるかなと思ってたし、鹿児島も好きだしね」。しかし、それから20年が経った今、父親はすでに会社をたたみ、川﨑さんはプロ選手生活を続けている。「親父、おふくろもびっくりよ!」と川﨑さんは笑う。

「僕は来年40歳になるんですけど、やっぱりボールを追いかけるのが好きなんですよ。犬みたいに楽しくボールを追っかけていたい。それが一番つらいんだけど、一番好きなんだよね。栃木に来て、それがよく分かった。追っかけたいんだよ、あのボールを。いつまでたっても言うこと聞かないんだよ。思う通りにならない。あいつだけは。……全然言うことを聞かねえ!(笑)」