自宅で子どもと過ごす時間が増えている今だからこそ、見つめ直したい親子の関係性。「こども哲学」に関する書籍を、いくつも執筆している立教大学の河野哲也教授は、教育現場における「こども哲学」が、思考力や対話力を伸ばすというメッセージを、一貫して著書の中で伝えています。今回は学校ではなく、子育ての中で「こども哲学」をすることの意義について、NPO法人こども哲学・おとな哲学アーダコーダを設立した立川辺洋平氏と河野哲也教授が語り合いました。
※本記事は、川辺洋平著『自信をもてる子が育つ こども哲学』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
ほぼ100%の子が「ママはうそつかない」
川辺 子どもたちと倫理的な話をすると、すごく正義感にあふれるっていうか、悪に対する強い嫌悪がありますよね。保護者の伝える社会規範を守ることが絶対っていうか。
河野 それが、まさに大人の影響ですよ。大人の影響なのか、最初から大人なのか分からないけど、極端にいかない。常識のどこに落とすかということは、子どもも大人もやるんです。それをいかに外すかの「揺さぶり」は必要ですね。
川辺 幼い子どもたちと関わっていると、ママが嘘をつくことあるって問いを出したら、子どもたち、特に未就学児は全員、うちのママは嘘なんかつかないよって言うんですね。
たとえばもう8時だから起きなさいと、7時50分にママが言ったとしても、子どもたちは、いや、ママは嘘をついてないって言うんですね。
そういうのを聞いてると、やっぱり自分にとって絶対的な存在である保護者が、嘘なんかつくはずがないし、その保護者がだめと言ったことは絶対にしてはいけないという、子どもという立場の弱さみたいなものが、ある種、大人がだめということは守らなければならないという、生きていくすべと直結してる感じがするんですね。
河野 「権力関係」ですよ(笑)。もう、そうですよ。
川辺 これが権力関係か(笑)。だから、子どもの倫理観が強いっていうのは、結果的に、子どもが非常に倫理的に振る舞わなければ、ないがしろにされるような立ち位置にいるのかなと。
対話によって潜んでいた権力関係に気づく
河野 私もそう思います。やっぱり放り出されるとか、育ててもらえなくなるってことに対する恐怖があるんですよね。親がいなくても、たぶん君たちを助けてくれる人はいくらでもいると思うよ、と言いながら哲学対話中に揺さぶっても、やっぱり子どもたちは悪を受け入れないですね。そんなこと言ったら、逆に怖くなっちゃいますからね。
川辺 そういうふうに考えると、子どもが理性的であることの背景に、やっぱり親と子とか、社会と子どもというものが、その立場に強弱がついている感じもするし。
河野 恐怖感だと思いますね。
川辺 やっぱり親子で哲学対話をすることの意味って、僕はそこにあるんじゃないかなって思っています。親子関係の中に潜む権力関係に気づくっていうのが、親の側にも起きてくるし、子どもにとっては、こんなに自由にいろいろ言っても聞いてもらえるんだっていう。本当は思ってたけど、それは言っちゃいけないと思って……みたいなことも言える。
河野 そうですね。子どもが自分でそういうことを確認する機会っていうのは、ないのかもしれません。