フタを外せば発想はどんどん湧いてくる
川辺 考えてはいたけれども「それは言ってはいけないことだと思っていた」というフタを外すっていうのが安心感。哲学対話の言葉でいうとセーフティで。そうすると、フタをされていた思考力や表現力があふれ出すから、もともと持っていた推論だったり、対話力っていうものが、親に認知される。
結果として、権力関係が解除された安心できる場をつくることによって、子どもの思考力や対話力が表出しているんじゃないかなって思うんですよ。
河野 思考力っていうのは、いくつか意味があると思うんです。ちまたでいう論理的に考えるという表現の場合、物事を理屈で整然と説明することを指す。
でも、本当の思考力っていうものがある。それは、論理のスピードが追いつかないくらい発想が、自由にどんどんわいてくるっていう思考力だと思います。
ちまたでいう思考力なんて、むしろ論理性によって本来の思考力に制限をかけてしまっているんじゃないかってくらいで。本当の思考力っていうのは、すごく大事だと思ってるんです。
川辺 思考力って、論理的思考力だけじゃないよ、と。もっと広い、本当の思考力っていうものがあるんだよ、ということですね。
河野 よく言われるように、いろんなことを考えて、それがうまくいくかどうか、後でじっくり仮説検証するっていう思考方法も、あっていいと思います。
でも、本当の思考力、真の思考力って、いろいろ試してやってみるっていうことだと思うんですよね。
「トライしていいのだ」と思わせる安心感
川辺 試しに行うと書いて「試行」。みたいなものが真の思考なのかな。たしかに僕自身のことを振り返ってみると、意見を言う前に、ものすごい数の仮説が脳内であふれ出している感覚はあります。ただそれが、意見になって口から出ると、ひとつのことしか考えていなかった、理路整然とした人だと思われてしまう。
河野 そうです。本当の思考力は、シンキングも含むかもしれないけど、トライイングでもあると思うんですね。
その「トライしていいのだ」っていう感じをつくるのが、安心感、セーフティなんだろうと思うんですよね。権力関係だったり、不安だったり、心の中でなにかが引っ掛かって、本当にトライしてないときがあると。もっとも、それを完全に外すのは難しいかもしれませんが。
川辺 そうですよね。いわゆる思考力育成や、論理性の育成に関心があって「こども哲学」を始めた保護者が活動していくなかで、何か違うなって気づく、そのプロセス自体に意味があるのかなとも思いました。
河野 「こども哲学」を通じて、子どもとの関係を結び直す「態度」を保護者がまず身につけること。それが大事なのかもしれませんね。