コロナ禍でも自己アピール発信に必死な欧州人

日本のリベラルな人々は、欧州はボランティア活動や人権擁護が素晴らしいと称賛しますが、あれはすべて“自分”のためです。社会に貢献しているふりをすれば自分のイメージが良くなるからです。

イギリスでは、コロナの状況が悪化していたとしても、町内の人たちが参加するソーシャルメディアや学校のメーリングリストには「私はこんなに地域に良いことをした」「〇〇さんを助けました」というアピールだらけ。実に馬鹿げています。

日本の俳優や著名人が、ひっそりとやっている奉仕活動のような精神的な意味合いが、彼らの行動にはありません。

だから私は、アメリカや欧州のボランティア活動やチャリティアピールが嫌いです。特に「なんとかのためにアフリカのナンチャラ山に登るから募金をしろ」「マラソンにでるから募金をしてくれ」というのは大嫌い。あれは単なる自己満足です。本当に人々のことを考えるなら、こっそりやればよいのです。

▲コロナ禍でも自己アピール発信に必死な欧州人 イメージ:PIXTA

そんな欧州人がエセボランティア精神を発揮しているなか、新型コロナ騒動の最中にあったイギリスにいる東アジア人は、出身国は違っても、みんな似たような行動をとっていました。多くの情報を集め、少しでも周囲に行き渡るよう、日々熱心に情報交換をしていたのです。

実体験に基づいた新型コロナ対策として「これが良かった」「こうしたほうが良い」ということを、かなり早いうちから教えてくれました。

ところがイギリス人や欧州大陸人、そしてイギリス育ちの南アジアの人たちはそうではありません。そういった「実用的なこと」を最初からバカにしているのです。

「コロナなんてへっちゃら」の態度がクール

そもそも欧州の人達は、自分のほうが人より上だと思い込んでいるので、成功事例に従ったり、ほかの国から学んだりすることを嫌がるのでしょう。オリジナリティがないと考えるからです。そして、自分は素晴らしいと自惚ぼれています。だから、自分だけは新型コロナにかからないと思い込んでいるのです。

そのためネット上では、有意義な情報を共有しあったり議論をしたりするのではなく「自分は、いかに素晴らしいことをやっているか」という自慢ばかりをやっています。まったく役に立たない理念やきれいごとだけに終始して、本質的なことを無視しています。

これでは感染者や死者が減るはずがありません。自分たちの身勝手な行動が、お年寄りたちを殺してしまうかもしれないのに、自粛しろといわれているパブやレストランに平気で行ったり、バーベキューを楽しんだりと好き放題です。

東アジアなら、おそらく白い目で見られる行動でしょう。でも彼らの頭の中では、これが原理的に正しくてクールなのです。

私はこの危機において、彼らの行動と思考回路に幻滅しています。他者というものに対する尊敬や、社会という枠組みに対する責任がまったくありません。人間の本質は言葉ではなく行動に出るのです。