インターネットやスマートフォンの普及により、ひと昔前では考えられないくらい情報量の多い時代になりました。こうした中でたびたび言われるのが、「情報過多の社会に生きていると、人間は想像力を失っていく」ということ。特にデジタルネイティブと呼ばれるような、物心ついた時からインターネットの存在が当たり前というような世代に対して、将来の不安として語られることが多いようです。はたして情報過多の時代に育った若者たちは、本当に想像力が貧困になっていくのでしょうか?

※本記事は、中脇雅裕:著『あなたの仕事はなぜつまらないのか』(ワニブックス刊)より、一部を抜粋編集したものです。

スタンプやアプリを作る子どもだっている

「妄想」をするには情報が必要であり、欲望が情報を求め、想像力を育む。つまり、「情報の豊かさが想像力を貧困にする」というのは実際には全く逆で、むしろ現代の情報化社会は、より豊かな想像力を育み得る、ということです。

問題は情報量の多さではありません。想像をしようとしているかの「意識」の問題であり、欲望を持っているかどうかの問題です。

例えば、最近の子どもは、インターネットを使いこなし、スカイプで友達同士勉強を教え合ったり、クラウドでノートを共有して試験対策をするなどというのが当たり前。

個人でブログを開いたり、LINEスタンプを作って配信したりといったことも、誰に教わるともなく普通に行っていますし、中にはアプリを作って販売するような子どもだっています。

親が教えたわけでも、授業で習ったわけでもなく、こうしたことができるというのは、とりもなおさず、彼らにとってはそれが「当たり前」だからです。

「当たり前」だと思っているからこそ、やり方を探すことができます。「なにかよくわからない凄いこと」だと思っていると、それを実行する手段について、想像力が働きません。

情報化社会だからこそ想像力が広がる

例えば、配信されているアプリをスマホにダウンロードして使ってみたときに、それがどうやって作られているのか? プログラムの専門家なら、なんとなく想像がつくでしょう。少し前なら、専門の勉強をした人間にしか、それを「想像する」ことはできなかったわけです。

しかし、インターネットによって様々な情報にアクセス可能になった現在では、それこそ小学生でも情報を得て、その過程を「想像する」ことが可能です。

それはつまり、それを開発する過程における苦労や、そこに携わった人々の思いさえも、想像することが可能だということです。

もっと言えば、情報が無ければ知ることさえできなかったような職業や国、文化、民族、宗教などでさえ、その気になれば情報を得ることができるし、そしてその様子を想像し、または妄想することができるのです。

情報化社会は、妄想の余地や、想像の可能性を広げることはあれども、想像力の貧困を生むようなことはない、と断言していいと思います。