テレビでの「干物カレンダー」企画が大反響

――それが競輪専門チャンネルのキャンペーンユニットの「スピーチーズ」ですね。オーディションに受かるためには準備が必要だったのでは?

歌とダンスの審査があったので、その練習はやりました。フリーターで時間はたっぷりあったので(笑)。上手ではないんですが、一生懸命練習はしました。そのお仕事をきっかけに、いろいろなお仕事に発展していき、順調になりました。

――その過程でグラビアのお仕事と出会ったんですね。

当時、AKBさんなどユニットのアイドルが、皆さんグラビアをやっていた時期で。ユニット=グラビアというイメージもあって、グラビアをやってみたいと思っていたんですけど、そのユニットはグラビアをやらなかったので、ユニットを卒業をしたタイミングで次のステップに行きたいと思って「グラビアをやってみたい」と自分から申し出ました。

――飛び込んでみたグラビアはすぐに楽しめましたか?

グラビアそのものというよりも、お客さんが自分を応援して見てくれることがすごく嬉しかったです。自分の表現を喜んでくれる人には応えたいし、見ている人が楽しんでくれることが嬉しいので。この活動を喜んでくれて応援してくれる人がいるなら、どんどんやっていこうと思いました。

――そんな楽しく活動されるなか、芸能の仕事に区切りをつけて再び事務所を辞めようと思ったのはなぜでしょうか?

けっこう過激な番組ではあったんですが、レギュラーでやっていた番組が無くなってしまって、もうこれ以上に楽しい、喜ばせられることはないんじゃないか。そして十分に楽しませたなと思ったところがあって。これ以上にはやれないし、ある程度やり切った気持ちだったんです。

なので、その番組終了と同時に事務所を辞め、この仕事から離れる予定でした。その辞める直前のタイミングで、干物グラビアが大バズりしてしまって。辞めたあとの仕事が具体的に決まっていたわけではなかったものの、今後も何かしら仕事をしなきゃとは思っていたんですが、まさか干物と干物のグラビアでこんなに反響があると思わなくて。結局グラビアの世界に引き戻される形になりました。

――干物とグラビアの組み合わせのインパクトはすごいものがありました。

干物グラビアがバズってから分析したことですが、世の中にコンテンツがあふれ過ぎていて、みんな飽きている状態なんだと思うんです。そのなかで違和感があるものとのセットがいいハーモニーだったんだなと。

そのときは思っていなかったですが、イチゴのショートケーキもただ甘いだけではなく、酸っぱいイチゴがあるからおいしいように、グラビアのなまめかしさと乾いた干物で中和されたというか。“干物女”という乾いた女性のイメージの言葉も覆し、そのあたりがあいまってちょうどいいものができたんではないかと思っています。

▲干物カレンダーは、ずっとやりたかったんです

――テレビ番組『アウト×デラックス』で干物カレンダーを作る企画がスタートしました。すごい反響だったと思います。

干物カレンダーは、ずっとやりたいと思っていたので嬉しいです。番組のあと、またSNSのフォロワーが増えました。