2020年の3月、夢だった世界一周の途中に立ち寄った南米コロンビアの首都ボゴタが、ロックダウンとなり帰国難民に。それから4ヵ月のあいだ、ホテル・シェアハウス・ゲストハウスに滞在した旅行者による現地レポート。
世界一周の途上で始まったコロナ禍
「中国で謎の肺炎が流行っているらしいよ。あんた海外に行って大丈夫なの?」母からの電話で初めてコロナの存在を知ったのは2020年1月中頃だった。私は当時、夢だった世界一周の旅に出発し、旅程の半分が過ぎたころ、お正月にあわせて日本に一時帰国していた。
よほどのことがない限り旅は続けるつもりだったし、謎の肺炎には全くといってよいほど警戒心を抱かなかった。予定通り日本を発ち、オーストラリアやニュージーランドの友人たちを訪ね、2月中旬に南米のボリビアに到着した。
横浜に停泊していた豪華客船内で蔓延した新型コロナウイルス。そのニュースが大きく報道されていたころ、地球の裏側にいた私はボリビアの「ウユニ塩湖」の星空ツアーに参加していて、コロナはまだまだ対岸の火事と思っていた。
3月中旬にコロンビア・ボゴタの空港に着いたとき、空港の雰囲気が一変していたことに初めて不安を感じた。マスクをする習慣がない南米で、ちらほらマスク姿の人たちを見かけるようになったのだ。空港スタッフの警備は強化され、マスクにフェイスシールドをした医療スタッフが待機、飛行機から降りた乗客に検温と問診をしていた。
「この1カ月どこにいたか? 熱や咳はないか? 宿泊先は? コロンビアの次の目的地は?」
無事に問診が終わり、空港を出られたことに安堵していたが、じつはこの時が、のちに実施されるロックダウン前に日本へ帰国するラストチャンスだったのだ。
ボゴタのホテルにチェックインしてからすぐの3月19日。「首都ボゴタは、まもなく4日間のロックダウンに入る」と、ドゥケ大統領が声明を発表。慌ててスーパーで食材を調達し、ホテルの冷蔵庫に詰めて食料は備えられたが、“ロックダウン”という状況が理解できず不安だった。
コロンビアの状況が悪化するにつれ、パラグアイにある伝説の宿『民宿小林』でつながった旅仲間から南米情報が入り、日に日に深刻になってきていることを実感した。
「2週間、宿に隔離されて出られない。警察が宿に来た!(ウルグアイ)」
「ウユニの空港がシャットダウンした! もう帰国することにした!(ボリビア)」
「俺以外の日本人、全員リマに連れていかれた! マチュピチュ村で最後の日本人になった。(ぺルー)」
ちなみにペルーにいた彼は、そのまま7ヵ月間滞在し、日本人として2人目の「マチュピチュ観光大使」に任命されたラッキーボーイである。
私も日本への帰国を決意し飛行機を予約したが、荷物のパッキング中に1通のメールが届いた。そこには「3月22日のあなたの搭乗便は欠航になりました」と書かれており、急いで別の便を探したが、情報が錯綜しているなかで新たな予約を迷っているうちに帰国便は埋まり、最後の1席は片道60万円(!)のビジネスクラスのみとなった。
私はパソコンをベッドに放り投げ、つっぷして泣いた。旅人から「帰国難民」になった日だった。